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2016年3月24日プレスリリース ストレスに強い脳をつくるタンパク質を発見―うつ病の脳のしくみ解明へ前進―

国立大学法人山口大学
国立研究開発法人日本医療研究開発機構

山口大学大学院医学系研究科の渡邉義文教授、内田周作講師、山形弘隆講師、樋口尚子助教らの研究グループは、長寿遺伝子産物として知られる酵素「サーチュイン」(SIRT1)を脳で活性化させることにより、ストレスを長期間受けてもうつ病になりにくくなる可能性があることを発表しました。ストレスが引き金となって発症するうつ病や不安障害の病態究明や新たな治療薬の開発に繋がることが期待できます。

なお、この研究成果は、2016年3月23日付けの米科学誌「Biological Psychiatry」電子版に掲載されます。

研究成果概要

人ではうつ病とSIRT1遺伝子には強い相関があることが以前から指摘されていました。しかし、脳におけるSIRT1の機能異常とストレス誘発性のうつ病との因果関係は不明でした。この関係を直接的に証明するために、同研究グループはストレスに強いマウスと弱いマウスを用いて脳内SIRT1と不安・うつ様行動との関連を詳細に調査しました。研究グループは、長期的なストレスに適応することができずに、人間のうつ状態を反映する行動をしたマウスと、ストレスに適応することができたマウスを用いて、これら2種類のマウスの脳内でどのような違いがあるのかを調べました。その結果、ストレスに弱いマウスでは、脳内の海馬(かいば)と呼ばれる場所でSIRT1の量が減っていました。一方、ストレスに強いマウスではSIRT1の量は変化していませんでした。そこで、遺伝子操作やSIRT1の機能を高める薬剤を用いてストレスに弱いマウスの海馬でSIRT1を活性化させたところ、ストレスに強いマウスになりました。逆に、SIRT1の働きを弱めたところ、軽度なストレスに対して適応することができないマウスになりました。

今後さらに研究を進めることで、うつ病や不安障害の原因解明ならびに新たな治療薬の開発のヒントを得ることが期待できます。

なお、本研究は、日本医療研究開発機構「脳科学研究戦略推進プログラム」の「精神・神経疾患の克服を目指す脳科学研究(課題F):うつ病等に関する研究」(平成27年度より文部科学省から移管)、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST)および文部科学省・科学研究費補助金制度の支援を受けて行ったものです。

研究の背景(図1)

近年のストレス社会を背景に、うつ病(注1)などの精神疾患を発症する人が急増しています。私たち人間の脳には、ストレスを受けてもそれに適応するシステムが備わっているため、通常の生活を送ることができます。しかし一部の人は、精神的・肉体的・社会的ストレスに適応することができずに精神疾患を発症してしまいます。このように、ストレスを感じる度合いは個人により異なりますが、その異なる原因はよく分かっていませんでした。ストレスを受けた脳内で起こっている変化を理解することは、うつ病や不安障害などの精神疾患の病態解明や予防さらには新規治療薬の開発に繋がると期待されます。

研究グループはこれまでにうつ病患者末梢白血球におけるサーチュイン遺伝子(SIRT1)(注2)の発現量の減少を報告しました(Abe et al., J. Psychiatr Res 2011)。さらに最近、他のグループからもうつ病患者の大規模遺伝子解析からSIRT1遺伝子とうつ病との関連が報告されました(CONVERGE consortium, Nature 2015)。このようにヒトにおいてはSIRT1遺伝子とうつ病との関連が示唆されています。しかしながらSIRT1の発現・機能異常とストレス誘発性のうつ病との因果関係は不明です。この関係を証明するために、研究グループはストレスに強いマウスと弱いマウスを用いて脳内SIRT1と不安・うつ様行動との関連を詳細に調査しました。

説明図・1枚目
図1 研究の背景

うつ病患者末梢白血球ではSIRT1遺伝子発現量が少なく、また、うつ病患者の大規模遺伝子解析結果からもSIRT1遺伝子とうつ病との強固な関連性が示唆されています。しかし、ストレスを受けた脳におけるSIRT1の機能異常と行動異常との因果関係は不明でした。そこで本研究では、ストレスに適応できるマウスと適応できずにうつ状態に陥るマウスを利用することで、脳内SIRT1とうつ病との直接的な関連を解析しました。

研究内容

1.ストレスに強いマウスと弱いマウス(図2)

遺伝的背景の異なるC57BL/6(以下、B6)マウスとBALB/c(以下、BALB)マウスの2種類のマウスに慢性ストレスを6週間負荷し、その後、うつや不安行動を測る社交性試験(注3)を行いました。その結果、ストレス負荷後のBALBマウスは相手マウスとの接触を嫌う(インタラクション時間の短縮)といった不安・うつ様行動の増加を認めました。一方、B6マウスはストレスを負荷しても不安・うつ様行動の増加は観察されず、ストレスに強いマウスであることが確認できました。

説明図・2枚目
図2 ストレスに強いマウスと弱いマウス

B6マウスとBALBマウスの2種類のマウスに慢性ストレスを6週間負荷しました。その後、うつや不安行動を測る様々な行動学的解析を行いました。その結果、B6マウスは不安・うつ様行動の増加は観察されず、ストレスに強いマウスであることがわかりました。一方、BALBマウスは興味の低下・絶望状態・不安行動の増加を示し、これはヒトのうつ状態を反映していると考えられました。

2.ストレスに強いマウスと弱いマウスの脳内遺伝子発現変化(図3)

次に、ストレスに強いマウスと弱いマウスの脳内でどのような遺伝子の発現量に違いがあるかを詳細に調べました。その結果、ストレスに弱いBALBマウスの海馬歯状回(注4)では、SIRT1の量が減っていました。一方、ストレスに強いB6マウスの海馬ではSIRT1の量は変化していませんでした。

説明図・3枚目
図3 ストレスに強いマウスと弱いマウスにおけるSIRT1量の変化

(A) 慢性ストレス負荷後のBALBマウスにおけるSIRT1 mRNA量を測定した結果、海馬におけるSIRT1 mRNA量は有意に低下していました。*p < 0.05.
(B) 慢性ストレス負荷後のB6マウスにおけるSIRT1 mRNA量を測定した結果、海馬におけるSIRT1 mRNA量に有意な変化は認められませんでした。*p < 0.05.

3.海馬特異的にSIRT1の発現・機能を人為的に操作したマウスのストレスに対する反応性(図4)

SIRT1がストレス反応に必須な因子であるかを検討するために、BALBマウスの海馬歯状回のみに野生型SIRT1あるいは活性を阻害するドミナントネガティブ(DN)型(注5)のSIRT1を過剰発現させました。その結果、DN型SIRT1を過剰発現させたマウスは不安・うつ様行動の増加が観察されました。一方、野生型SIRT1を過剰発現させたBALBマウスは、慢性ストレス負荷後の不安・うつ様行動が消失しており、ストレスに適応できていました。これらの結果から、SIRT1はストレス反応に重要な因子であることがわかりました。

説明図・4枚目
図4 海馬特異的にSIRT1の発現・機能を人為的に操作したマウスのストレスに対する反応性

(A) 野生型SIRT1あるいはドミナントネガティブ型SIRT1を発現するアデノ随伴ウイルス(AAV)の作製。
(B) AAVを用いた海馬歯状回特異的な遺伝子発現操作。緑色の部分がAAVにより導入された外来遺伝子(GFP)を発現している細胞を示しています。
(C)DN型SIRT1を過剰発現させたマウスは社交性の低下を認めました。一方、野生型SIRT1を過剰発現したマウスに慢性ストレスを負荷して社交性試験を行った結果、コントロールマウスに比してインタラクション時間が有意に長くなっており、ストレスに強くなっていました。*p < 0.05.

4.ストレスに強くなるくすり(図5)

次にSIRT1の阻害剤(sirtinol)あるいは活性化剤(SRT2104)をBALBマウス海馬内に投与し、行動を評価しました。その結果、sirtinolを投与したマウスは不安・うつ様行動の増加を示しました。一方、SRT2104投与マウスに慢性ストレスを負荷した場合、溶媒投与群に認められた不安・うつ様行動の増加は消失していました。これらの結果から、SIRT1の機能を高める薬はストレス抵抗性を誘導することが示唆されました。

説明図・5枚目
図5 ストレスに強くなるくすり

(A) Sirtinolを投与マウスを用いて社交性試験を行った結果、インタラクション時間の有意な減少が観察されました。*p < 0.05.
(B) SRT2104投与マウスに慢性ストレスを負荷し、その後社交性試験を行いました。その結果、溶媒投与群に認められたインタラクション時間の有意な短縮は消失していました。*p < 0.05.

5.SIRT1の神経可塑性に対する役割(図6)

最後に、sirtinolあるいはSRT2104をBALBマウス海馬内に投与し、歯状回における神経細胞の形態を評価しました。その結果、sirtinolを投与したマウスは神経細胞樹状突起に存在するスパイン密度が有意に低下していました。一方、慢性ストレス負荷条件下において、SRT2104投与マウスのスパイン密度は、溶媒投与マウスに比して有意に増加していました。スパインは神経細胞どうしのコミュニケーションに重要であることから、この結果により、SIRT1は神経可塑性を制御することでうつ様行動の発現に関与していることが示唆されました。

説明図・6枚目
図6 SIRT1の神経可塑性に対する役割

(A) Sirtinolを投与したマウスはスパイン密度の有意な低下が観察されました。*p < 0.05.
(B) 慢性ストレス負荷条件下において、SRT2104投与マウスのスパイン密度は、溶媒投与マウスに比して有意に増加していました。*p < 0.05.

今後の展開(図7)

今回の研究結果から、ストレスに強い脳と弱い脳の分子機構の一端が明らかとなりました。また、SIRT1の機能を高める薬剤を投与したマウスは、ストレスを受けてもうつ状態にならなかったという結果は、ストレスが引き金となって発症する精神疾患の新規治療薬の標的となり得る可能性を示唆しています。しかし、ストレスは脳内の様々な場所の機能に影響を与えていると想定されているため、今回解析した脳の部位以外でも多くの異常が生じている可能性は十分に考えられます。また、うつ病や不安障害は単一の遺伝子のみで説明できる疾患ではなく、複数の因子が複雑に相互作用していると考えられています。今後は神経回路レベルでの解析やヒト試料を用いた多角的なアプローチにより、ストレスを受けた脳の全容解明ならびにうつ病の予防・診断・治療法の確立に向けた取り組みを推進していく必要があります。

説明図・7枚目
図7 今後の展開

本研究はうつ病患者におけるSIRT1遺伝子の関連性に着目し、マウスを用いることでSIRT1遺伝子の不安・うつ様行動に対する直接的な関与を詳細に解析しました。一連の解析結果から、脳海馬のSIRT1機能を高めることでストレスを受けてもうつ状態にならないマウスの作製に成功したことは、今後、SIRT1を標的とした新たな抗うつ薬の開発につながることが期待できます。

用語説明

(注1)うつ病
米国の操作的診断基準であるDSM-5では、「大うつ病性障害」(major depression)と呼ばれている。DSM-5の診断基準は、「抑うつ気分」と「興味・喜びの喪失」の2つの主要症状が基本となる。「抑うつ気分」とは、気分の落ち込みや空虚感・悲しさなどである。「興味・喜びの喪失」とは、以前楽しめていたこと(趣味など)にも楽しみを見いだせない状態である。これら主要症状に加えて、「自分には何の価値もないと感じる無価値感」や「自殺念慮・希死念慮」などの症状がある。
(注2)サーチュイン遺伝子(SIRT1)
長寿遺伝子あるいは抗老化遺伝子ともよばれる。遺伝子発現制御に重要な核内ヒストンタンパクの脱アセチル化酵素として働く。また細胞質においても様々なタンパク質を脱アセチル化することでそれら活性を制御している。脳神経系において高発現しており、睡眠・肥満・記憶・日内リズムなど多様な脳高次機能に関与することが示されている。
(注3)社交性試験
はじめて接する相手マウスに対してどの程度興味をもっているかを調べるテスト。インタラクション時間が短いほど不安・うつが高いと判断できる。ただし、うつモデルとしての判断は、他の行動解析試験の結果や抗うつ薬投与実験の結果ともあわせて考慮する必要がある。
(注4)海馬歯状回
記憶・学習などに関わる脳領域。ストレスによるダメージを受けやすい部位としても知られる。うつ病との関連は未だはっきりしていない。
(注5)ドミナントネガティブ型
正常な遺伝子産物に対してドミナント(優位)に働くことで、正常な遺伝子産物の作用を阻害する(ネガティブな効果)変異型の遺伝子産物。

原著論文情報

Naoko Abe-Higuchi, Shusaku Uchida, Hirotaka Yamagata, Fumihiro Higuchi, Teruyuki Hobara, Kumiko Hara, Ayumi Kobayashi, and Yoshifumi Watanabe. Hippocampal SIRT1 signaling mediates depression-like behavior. Biological Psychiatry, pii: S0006-3223(16)00080-9. doi: 10.1016/j.biopsych.2016.01.009. [Epub ahead of print]

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最終更新日 2016年3月24日

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