プレスリリース 「達成感」による脳内変化を明らかに―新たな学習法や、精神・神経疾患の治療法の開発につながる成果―

プレスリリース

慶應義塾大学医学部
国立研究開発法人理化学研究所
国立研究開発法人日本医療研究開発機構

慶應義塾大学先導研究センターの山﨑由美子特任教授(理化学研究所象徴概念発達研究チーム客員研究員兼務)、慶應義塾大学医学部生理学教室の岡野栄之教授、理化学研究所象徴概念発達研究チームの入來篤史チームリーダーらは、霊長類のコモンマーモセット(以下、マーモセット)に道具で餌をとらせる訓練を行った後、デジタル脳構造画像解析技術(VBM)注1という解析方法を用いて、報酬ややる気に関わる脳部位として知られる側坐核の体積を測定したところ、難易度の高い訓練を達成するほど体積増加が起こることを発見しました。

本研究ではマーモセットに1年という長い時間をかけ、様々な位置にある餌を取る課題を、段階的に難易度を上げて訓練しながら脳の変化を計測しました。被験者や被験体に比較的短期間の訓練を行う例はありましたが、本研究のように長期間の訓練に伴う脳構造の変化を比べる試みは世界で初めてです。本研究成果は、勉強や課題に自主的に取り組み、楽しいと感じられる教育方法の開発や、うつ病などの意欲の減退を呈する精神・神経疾患への介入方法の開発などへの応用が期待されます。

本研究成果は、2016年8月8日(英国時間)発行の科学雑誌「Scientific Reports」にオンライン掲載されました。

本研究は、日本医療研究開発機構「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト」の一環として行われました。

研究の背景と経緯

ヒトの脳の体積は胎児から乳児期にかけて急激に大きくなり、新しい環境での学習を支えています。大人になる前に脳の体積は増加しなくなりますが、その後も新しい技術を学習することができます。これは、神経細胞同士の連絡の仕方を変えることで可能になるのであり、脳の体積は変化しないものと考えられてきました。しかし近年、大人でも新しい技能を習得する際、海馬や小脳の体積が変化することが報告されました。また、ニホンザルでは、道具使用を訓練されることで、頭頂葉や側頭葉の一部にも変化が生じることが報告されています。

マーモセットはニホンザルやチンパンジーのように個々の指を動かすことができません。しかし、本研究グループは2011年に、マーモセットが道具を使って餌を取るようになれることを証明しました。餌を十分に与えられているマーモセットにおやつのような餌を与えるため、やる気があるときにしか道具を使いません。訓練が進むと条件が難しくなり、失敗も増え、餌を得られるまでの時間も長くなりますが、それでもマーモセットは道具を使い続けました。これは単に、おやつが欲しいためだけではなく、成功したときの達成感が徐々に増大したためだと考えられます。達成感は客観的に評価することが難しい感覚ですが、側坐核という報酬にかかわる脳部位が、困難で労力を要する課題で報酬を得た際に、より活動することが知られています。

研究の概要

4頭のメスのマーモセットに、熊手のような道具を使って、自らの手が届かない位置に置かれた餌を取る訓練をしました。訓練では道具の手前、左右、前方に置かれた餌を取れるよう、5mm単位でステップを刻み、段階的に習得できるようにしました(図1)。最終的に、道具の裏側に置かれた餌を、道具の先端を回転させて取れるようになることを習得の最終目標としました。訓練の結果、4頭ともすべての訓練条件をクリアできましたが、合計で3000から5000試行を要し、総期間として10から13か月の時間がかかりました。この訓練期間の前後・途中に合計7回、マーモセットの脳の核磁気共鳴画像(MRI)を撮影しました。この画像分析では信号強度の変化が検出されますが、これを脳構造の変化、とりわけ体積の変化として考えることができます。

その結果、側坐核(図2)、2次・3次視覚野(図3)において、訓練期間のみに体積が増加し、訓練の前後には変化しないことが確認されました。側坐核では、訓練段階を前後二つに分けたとき、前期より後期においてより体積が増加しました。一方視覚野における変化は訓練の前期でより顕著でした。

視覚野の変化は、道具を見ながら動かす視覚運動制御に関連していると考えられます。この行動は道具使用訓練の全般にわたって見られることから、訓練初期により変化量が大きかったものと解釈できます。一方、側坐核の変化は、訓練の進展に伴う変化に対応したものと考えられます。道具使用により得られる報酬は最初から最後まで一定ですが、図1に見られるように、訓練段階が進むにつれて、道具を左右前後に操作する程度が増していきます。つまり、1個の報酬を得るための労働量が、訓練後期の方で増えていました。訓練後期の側坐核の増大は、より困難な課題の達成時の活性化に関連すると考えられます。

本研究では、研究グループが有する独自の行動的訓練の手法と、脳画像解析の手法を共同して用いることにより、大人のマーモセットが長期の行動訓練を通じて、側坐核の体積を増大させるという現象を、世界で初めて確認しました。

研究の成果と意義・今後の展開

本研究結果は、霊長類の認知進化を進めた要因の一つとして、学習とその成功が、更なる継続的な学習への神経基盤を作ることを示したという点で意義があります。マーモセットは自らのやる気に基づいて訓練に参加し続けました。このことから、ヒトにおいても学校での学習や機能回復のためのリハビリテーションのように、短時間で劇的な変化がない場面でも、小さなステップを刻んだメニューが学習への意欲を増大させると考えられます。また、うつ病のように、意欲の減退を症状として呈する精神・神経疾患に対する新たな行動的介入方法の開発も期待されます。

参考図

説明図・1枚目(図1)マーモセットの道具使用訓練に用いられた段階的方法
説明図・2枚目(図2)両側の側坐核の体積の増大
白い矢印で示された部位が増大した。(赤より黄色、白の方がより顕著な増大を示す。)変化は訓練期間にのみ限られ、訓練後3か月以上にわたり維持された。訓練初期よりも訓練後期に増大が顕著であった。
説明図・3枚目(図3)両側の2次・3次視覚野(V2/V3)における体積の変化
白い矢印で示された部位が増大した。変化は訓練期間に限られ、訓練後も保たれた。訓練後期よりも初期の増大が顕著であった。

特記事項

本研究は、内閣府/日本学術振興会・最先端研究開発支援プログラム(FIRST)および国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクトの支援によって行われました。

論文

題名:Neural changes in the primate brain correlated with the evolution of complex motor skills(複雑な運動技能の発展に応じて生じた霊長類脳の変化)

著者名:山﨑由美子、疋島啓吾、斉木正門、稲田正幸、佐々木えりか、ロジャー・レモン、キャシー・プライス、岡野栄之、入來篤史

掲載雑誌名:Scientific Reports(オンライン版)

用語解説

(注1)デジタル脳構造画像解析技術(VBM)
核磁気共鳴画像(MRI)を用いて得られた個人の脳画像を、標準化された脳画像の座標軸に合わせ、ボクセルという小さな単位ごとの体積の違いを統計的に調べる方法。VBMはVoxel Based Morphometryの略。精神神経疾患、特殊技能、特定の生活パターンなど、様々な脳構造における特徴を捉えるために用いられている。

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慶應義塾大学 先導研究センター 特任教授
山﨑 由美子(ヤマザキ ユミコ)
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E-mail: yumyam“AT”a5.keio.jp

慶應義塾大学 医学部 生理学教室 教授
岡野 栄之(オカノ ヒデユキ)
Tel:03-5363-3746 Fax:03-3357-5445
E-mail: hidokano“AT”sc.itc.keio.ac.jp

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掲載日 平成28年8月8日

最終更新日 平成28年8月8日