プレスリリース 人工透析下の腎臓がんの前がん病変および発症機構を解明―米国癌学会旗艦誌「Cancer Discovery」に論文発表―
プレスリリース
国立がん研究センター
東京大学
日本医療研究開発機構
発表のポイント
- 人工透析患者さんに発症する後天性嚢胞腎および腎臓がんについて、その分子生物学的特徴を空間的マルチオミックス解析により包括的に解析しました。
- 後天性嚢胞腎および腎臓がんは、腎臓の近位尿細管細胞から発症することを明らかにしました。
- 長期の透析下で、近位尿細管細胞周囲の微小環境から分泌される因子によって、一部の近位尿細管細胞がMETシグナル経路の活性化によって持続的に増殖し、さらに遺伝子変異が蓄積することでその細胞クローンが拡大して、嚢胞化、腎臓がんへと進展するという、透析環境に特有の発がん機序を解明しました。
- 透析下で発生する腎臓がんは、一般的な腎臓がんとは異なる分子プロファイルを示すことが分かりました。
- 本成果は透析患者さんにおける腎臓がんの予防や診断、治療開発等の臨床応用への貢献が期待されます。
概要
国立研究開発法人国立がん研究センター(東京都中央区、理事長:間野 博行)研究所(所長:間野博行)細胞情報学分野の田中 庸介研究員、高橋 潤任意研修生、間野 博行特別研究員らは東京大学医学部附属病院泌尿器科・男性科(久米 春喜教授)との協力体制のもと、人工透析注1(血液透析)患者さんに特有に発症する腎臓がんの分子メカニズムを明らかにしました。一般に、慢性腎臓病が進行して末期腎不全に至ると人工透析療法が必要となりますが、長期の透析により腎臓には多発性の嚢胞(後天性嚢胞腎注2:ACKD)が形成され、その後の腎臓がん発症リスクが一般人口の15倍に上昇することが知られています。
本研究では、空間的マルチオミックス解析注3により、後天性嚢胞腎およびそこから発生する腎臓がんが、腎臓の構成要素である近位尿細管注4細胞を起源としていることを明らかにしました。特に、長期透析により腎臓の多くの組織が傷害・萎縮していく一方で、一部の近位尿細管が周囲微小環境から分泌されるHGF(hepatocyte growth factor:肝細胞増殖因子)によってMETチロシンキナーゼ注5を活性化し、さらに遺伝子変異の蓄積を伴いながらクローン性注6に増殖することで嚢胞化し、最終的に腎臓がんへと進展する過程を解明しました。また、発症した透析特有の腎臓がんは、一般的な腎臓がんと比べて遺伝子異常などの分子プロファイルが大きく異なることが分かり、透析腎特有の発がん経路が示唆されました。本研究で明らかになった発がん機構を基盤として、今後は透析患者さんにおける腎臓がん発症リスクの層別化や、新しい診断・治療戦略の開発が期待され、長期透析患者さんの予後改善に向けた新たな一歩となることが見込まれます。本研究成果は、米国時間2025年11月20日(日本時間11月21日)付で、国際学術誌「Cancer Discovery」に掲載されました。
背景
慢性腎臓病(CKD:chronic kidney disease)は、糖尿病や高血圧、糸球体腎炎などを主な原因として発症し、世界人口の10%以上が罹患している最大の医療課題の一つです。日本にも1,500万人を超える患者さんがいますが、病状が進行すると腎機能が著しく低下し、末期腎不全と呼ばれる、自力で尿を排出できない状態に至ります。この段階では体液管理や老廃物除去のために、人工透析療法や腎移植などが必要となります。日本は世界的にも人工透析患者数が多い国の一つであり、現在では約35万人が長期にわたり透析治療を受けています。透析治療が長期化すると、腎臓にはしばしば多数の嚢胞を伴う後天性嚢胞腎(ACKD:acquired cystic kidney disease)と呼ばれる病態が生じ、透析開始から10年以上が経過した患者さんの約9割に発症すると報告されています。これらの嚢胞は腎臓がんの発生母地となる可能性が指摘されており、透析患者さんの腎臓がん発症リスクは一般人口の約15倍にまで達すると言われています。しかしながら、なぜ人工透析によって腎嚢胞が形成されるのか、そしてなぜ腎臓がんリスクが高まるのか、といった分子レベルでの実態は、これまで十分に解明されていませんでした。
研究成果
本研究では東京大学医学部附属病院泌尿器科・男性科の協力のもと、透析患者さんおよび非透析患者さん101名の腎臓検体を対象に、世界最大規模の空間的マルチオミックス解析(全エキソーム解析、RNAシーケンス、シングルセルシーケンス、空間トランスクリプトーム解析)を実施しました(図1)。

ポイント1. 透析腎がんの分子プロファイルは一般的な腎がんとは異なっていた
透析腎がん検体を用いて全エキソーム解析を行ったところ、透析腎がんの遺伝子変異パターンは、一般的な腎臓がんとは大きく異なることが明らかになりました(図2)。特に、一般的な腎臓がんで高頻度に認められるVHL遺伝子の異常が認められず、透析腎がん症例で共通する遺伝子変異もほとんどありませんでした。一方で、クロマチン制御関連遺伝子群注7には散発的な変異が検出され、コピー数異常としては染色体3、7、16番の増幅も特徴的でした。RNAシーケンス解析でも遺伝子発現パターンは一般的な腎がんと異なり、透析腎がんでは特に近位尿細管関連遺伝子群の発現上昇が確認されました。これらの結果から、透析腎がんは一般的な腎臓がんとは異なる分子生物学的特徴を有する独立した腫瘍であることが明らかになりました。

ポイント2. 後天性嚢胞腎および透析腎がんは近位尿細管由来であった
嚢胞の発生起源を明らかにするため、後天性嚢胞腎(ACKD)の腎組織を用いて空間トランスクリプトーム解析を行いました。その結果、嚢胞壁領域ではLRP2遺伝子など近位尿細管関連遺伝子の発現上昇が認められました(図3)。

さらに、嚢胞から腫瘍が発生している症例の解析では、嚢胞壁および腫瘍部位で近位尿細管関連遺伝子が高発現している一方、嚢胞以外の領域ではその発現が低下していました。これらの結果は、後天性嚢胞腎および透析腎がんがいずれも近位尿細管由来であることを強く示唆しています。加えて、嚢胞腎検体を用いたシングルセルRNAシーケンスの解析により、近位尿細管細胞集団の中に、透析環境下で嚢胞へと分化していく細胞群と、萎縮していく細胞群が共存していることが明らかになりました(図4)。

ポイント3. 後天性嚢胞腎ではMETの活性化および遺伝子変異蓄積によるクローン形成が認められた
近位尿細管細胞の一部が嚢胞として分化していく機序を明らかにするため、後天性嚢胞腎のシングルセルRNAシーケンスデータを用いて、嚢胞細胞と周囲の微小環境細胞との細胞間相互作用注8を解析しました。その結果、周囲の線維芽細胞が分泌するHGFにより、嚢胞細胞内のMETシグナルが活性化していることが明らかになりました。実際に、免疫染色によりタンパク発現を解析すると、嚢胞壁では活性型MET(リン酸化MET)が、嚢胞細胞間に存在する線維芽細胞ではHGFの発現が検出され、HGF–MET経路が嚢胞細胞の生存を促す主要な経路であることが示唆されました(図5)。

さらに、嚢胞検体に対してレーザーマイクロダイセクション注9を行い純化細胞のゲノム変化を解析したところ、クロマチン制御因子やコヒーシン複合体遺伝子注10の変異が高い変異頻度(variant allele frequency: VAF)で検出され、嚢胞内で遺伝子変異を有する細胞のクローン性増殖が生じていることが確認されました(図6)。これらの結果から、透析腎臓では多くの近位尿細管が萎縮していく一方で、一部の近位尿細管細胞が周囲微小環境から分泌されるHGFによってMETシグナル経路を活性化し細胞死から免れ、さらに遺伝子変異を蓄積しながらクローン性に増殖することで嚢胞を形成し、最終的に腎臓がんへと進展することが示唆されました。

展望
本研究により、長期透析によって腎臓の多くの組織が傷害・萎縮していく一方で、一部の近位尿細管が微小環境から分泌される因子によりMETシグナル経路を活性化し、さらに遺伝子変異の蓄積を伴いながらクローン性に増殖することで嚢胞化し、最終的に腎臓がんへと進展するという、透析環境に特有の発がん経路が明らかになりました。これらの知見は今後、透析患者さんにおける腎臓がん発症リスクの分子マーカーによる層別化や、血液・尿を用いた非侵襲的スクリーニングへの応用につながる可能性があります。さらに、新たな診断法や治療標的の開発を通じて、長期透析患者さんの腎がん発症予防および予後改善に寄与することが期待されます。
発表論文
- 雑誌名
- Cancer Discovery
- タイトル
- Spatial multiomic analyses reveal carcinogenic pathways in end-stage renal disease
- 著者
- Jun Takahashi1,2,*, Yosuke Tanaka1,*,#,+, Yusuke Sato2,3, Hisashi Hashimoto1, Toshihide Ueno1, Shinya Kojima1, Ryohei Kuroda4, Atsushi Kondo4, Genki Okumura5, Akihiko Fukagawa4, Ibuki Tsuru2, Yuta Yamada6, Sayuri Takahashi6, Yasuhiro Kojima7, Shohei Koyama5, Tetsuo Ushiku4, Hiroyoshi Nishikawa5, Haruki Kume2, Hiroyuki Mano1,#
- 所属
-
- Division of Cellular Signaling, National Cancer Center Research Institute
- Department of Urology, Graduate School of Medicine, The University of Tokyo
- Department of Urology, Tokyo Metropolitan Tama Medical Center
- Department of Pathology, Graduate School of Medicine, The University of Tokyo
- Division of Cancer Immunology, National Cancer Center Research Institute
- Department of Urology, The Institute of Medical Science, The University of Tokyo
- Laboratory of Computational Life Science, National Cancer Center Research Institute
- * These authors contributed equally: Jun Takahashi and Yosuke Tanaka
- # Corresponding author
- + Lead contact
- 掲載日
- 米国時間2025年11月20日(日本時間11月21日)付
- DOI
- 10.1158/2159-8290.CD-25-0472
- URL
- https://aacrjournals.org/cancerdiscovery/article/doi/10.1158/2159-8290.CD-25-0472
研究助成
日本医療研究開発機構(AMED)
- ムーンショット型研究開発事業「慢性炎症の制御によるがん発症ゼロ社会の実現」(課題管理番号22zf0127009)
- 革新的がん医療実用化研究事業「透析腎がんの時空間的解析による分子基盤解明及び予防戦略開発」(課題管理番号24ck0106948)
- 革新的がん医療実用化研究事業「スキルス胃がんの革新的ゲノム医療開発」(課題管理番号22ck0106720)
用語解説
- 注1 人工透析
- 腎臓の機能が低下して老廃物や余分な水分を排出できなくなった際に、腎臓の代わりの方法で血液を浄化する治療法。血液透析と腹膜透析の2種類があり、日本では体外で機械を使って血液をろ過する血液透析がほとんどである。
- 注2 後天性嚢胞腎
- 長期間の腎不全や人工透析によって、もともと正常だった腎臓に多数の嚢胞(液体を含む袋状の構造)が生じる状態を指す。
- 注3 空間的マルチオミックス解析
- 組織内の細胞の位置情報を保持したまま、遺伝子発現やDNA変異、タンパク質発現などの複数の分子情報を同時に取得し、解析する手法。
- 注4 近位尿細管
- 腎臓の基本単位であるネフロンと呼ばれる組織の一部で、尿のもととなる液体からブドウ糖、アミノ酸、電解質などを再吸収し、尿を作り出す重要な細胞群。
- 注5 METチロシンキナーゼ
- HGF(肝細胞増殖因子)の特異的受容体タンパクで、細胞膜外でHGFに結合すると細胞膜内に存在するチロシンキナーゼ酵素活性が上昇する。このMETの活性化は細胞の生存・増殖を促す作用があり、腎障害後の尿細管の修復反応にも関与することが知られる。
- 注6 クローン
- 単一の細胞が遺伝子変異を獲得し、増殖によって同一の遺伝情報をもつ細胞集団を形成する現象。
- 注7 クロマチン制御関連遺伝子群
- 遺伝子発現を調節する「クロマチン構造」を制御する遺伝子群。これらの異常は細胞の分化や増殖の破綻を引き起こし、がんの発生に関与する。
- 注8 細胞間相互作用
- シングルセル解析により、細胞同士が分泌因子や受容体を介して情報をやり取りする関係を解析する手法。どの細胞がどの細胞にシグナルを送っているかを明らかにすることで、腫瘍や組織内での細胞ネットワークや機能的つながりを理解できる。
- 注9 レーザーマイクロダイセクション
- 顕微鏡下でレーザーを用いて、組織切片から特定の細胞や領域を精密に切り出す技術。目的の細胞だけを回収してDNAを解析できる。
- 注10 コヒーシン複合体遺伝子
- 染色体の構造を保ち、遺伝子発現を調節するタンパク質複合体の構成遺伝子群。変異が起こるとゲノムの安定性が損なわれ、がんの発生に関与する。
お問い合わせ先
研究に関する問い合わせ
国立研究開発法人国立がん研究センター研究所
細胞情報学分野 田中 庸介
電話番号:03-3542-2511(代表)
Eメール:yotanaka”AT”ncc.go.jp
広報窓口
国立研究開発法人国立がん研究センター
企画戦略局 広報企画室
電話番号:03-3542-2511(代表)
Eメール:ncc-admin”AT”ncc.go.jp
東京大学医学部附属病院
パブリック・リレーションセンター(担当:渡部、小岩井)
電話番号:03-5800-9188
Eメール:pr”AT”adm.h.u-tokyo.ac.jp
国立研究開発法人日本医療研究開発機構
データ利活用・ライフコース研究開発事業部 ライフコース研究開発課
革新的がん医療実用化研究事業
電話番号:03-6870-2221
Eメール:kakushingan”AT”amed.go.jp
※E-mailは上記アドレス“AT”の部分を@に変えてください。
関連リンク
掲載日 令和7年11月21日
最終更新日 令和7年11月21日


