障害のある医療者「にもできる」ではなく 「にしかできない」貢献―脳性まひを生きる医師の当事者研究から発見された「障害の専門性」―

プレスリリース 

東京大学
日本医療研究開発機構

発表のポイント

  • 従来の医学が依拠してきた障害の「欠損モデル」に挑戦し、障害のある当事者が持つ固有の知識やスキルに注目する「障害の専門性(Disability Expertise)」という概念を手がかりとしつつ、脳性まひを持ちながら小児科臨床に携わってきた筆頭著者のS.K.医師の経験を分析することで、障害ある医療者の存在が医療の質を向上させるメカニズムや、それを可能にする組織的、制度的条件を検討しました。
  • 医療現場で障害の専門性が発揮されるメカニズムとして、「個々の医療技術の標準的な手順に固執せず、その本質的目的は何かを深く理解し、それを達成するための柔軟で新しい方法を考案する力」「標準から外れた複雑な状況に置かれた人々の経験を、新たな価値を創造する機会(資源)と捉える視点」「医療チームや社会全体における相互依存の重要性を理解し、実践する力」の3つを特定しました。
  • 医療現場で障害の専門性が発揮される条件として、「患者と医師が障害や性別、言語や民族性などの背景を共有することで医療の質が向上する医師‐患者コンコーダンス効果に注目し、障害を持つ医療専門家を増やすこと」「医療者や患者の標準から外れた身体や専門性を包摂すべく、教育課程や資格付与、サービス評価における標準化と個別化のバランスをとること」「高信頼性組織の知見を活かし、多様な専門家が脆弱性と強みを補い合い、有機的に連携するチームを育てるリーダーシップや組織文化を醸成すること」の重要性が示唆されました。

概要

東京大学先端科学技術研究センター 熊谷晋一郎 教授(東京大学多様性包摂共創センター 副センター長)、シカゴ大学比較人間発達学部 ミシェル・フリードナー 教授(同 学部長)、慶應義塾大学文学部 北中淳子 教授、東京大学医学部附属病院 笠井清登 教授(東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)主任研究者)の国際共同研究グループは、医療人類学者のカサンドラ・ハートブレイが提唱した「障害の専門性(Disability Expertise)」(注1)という概念を参照しながら、脳性まひを持ちながら小児科臨床に携わってきた筆頭著者のS.K.医師の経験を分析することで、障害ある医師の存在が医療の質を向上させるメカニズムや、それを可能にする組織的、制度的条件を検討しました。この研究は、障害をはじめとした人々の脆弱性を単なる欠陥として捉えがちな医療文化を批判的に捉え直し、困難な状況を乗り越える中で培われる独自の専門性の源泉として位置づけるだけでなく、その知見が医療チーム全体の能力を高め、多様な患者へのケアを向上させる可能性を明らかにしています。また障害に限らず、多様な脆弱性や強みを持つ人々からなる医療チームが、相互依存し合いながら、持続可能で包摂的なサービスを提供できる医療システムの構築を強く促すものです。

本研究成果は、2026年9月3日23時30分(英国夏時間)に国際医学雑誌『The Lancet』のオンライン版に掲載されます。

発表内容

医療サービスを利用する患者の背景は、性別、性的指向、言語、民族性、障害、社会経済的状況などの面で実に多様です。しかしながら現実の医療は、患者コミュニティのなかでマジョリティを占める人々に合わせてデザインされ、標準化される傾向にあります。その結果、マジョリティ性を持つ患者とマイノリティ性を持つ患者との間に健康格差が生じています。

近年、こうした格差を是正する取組みのなかで、患者の背景と同じ背景を共有する医師がサービス提供をすることで医療の質が向上するという、「医師‐患者コンコーダンス効果(Physician-Patient Concordance Effect)」(注2)が注目されています。この知見を敷衍すると、患者コミュニティの多様性に匹敵する医師コミュニティの多様性を実現することが、包摂的な医療の実現につながる可能性があります。

しかし現実には、医師コミュニティの多様性や包摂性は十分に実現していません。特に本研究が注目する障害の分野では、障害のある人々が医師になろうとすると、教育課程や職場において、数多くの物理的・制度的・文化的な障壁が立ちはだかり、その行く手を阻んでいます。

本研究では、医療人類学者のカサンドラ・ハートブレイが提唱した「障害の専門性(DisabilityExpertise)」という概念を参照しながら、脳性まひを持ちながら小児科臨床に携わってきた筆頭著者のS.K.医師の経験を分析することで、障害ある医師の存在が医療の質を向上させるメカニズムや、それを可能にする組織的、制度的条件を検討しました。

事例提示

S.K.医師は脳性まひを持って生まれ、医師を志しました。彼が医師免許を取得した2001 年に医師法が改正され、特定の障害を持つ者を不適格とする欠格条項がなくなり、研修や業務において障害を補う支援機器の使用が認められました。しかし研修医時代、上肢の可動域が限られている彼は採血という基本的な医療行為で大きな壁にぶつかります。患者やその家族、同僚からの、「障害ゆえに失敗するのではないか」という厳しい視線がプレッシャーとなり、脳性まひ特有の筋肉の緊張を強めさせ、実際に失敗を重ねてしまったのです。一時は自信を失い、様々な業務から外されるなど、孤立を深めました。
研修2年目、S.K.医師は指導医の勧めで資源の限られた地域の中核病院へ移ることになります。そこは、固有の強みや脆弱性を持つ医療従事者一人一人の能力や、医療行為の個々の手続きを標準化するのではなく、多様なメンバーが補い合いながら協働し、個々の医療行為の本質的な目的を明確化しながら、それを実現する手続きは個別の患者の多様な状況に即応して柔軟にカスタマイズする文化が根付いていました。そのような文化のなかで、彼の障害も固有の脆弱性かつ強みとして受け止められ、チームの一員として包摂されました。
障害を生きる中で、常に即興で困難を乗り越える技術や知識を身につけてきた彼は、他の医師が対応に苦慮するような複雑な患者のケアでその能力を発揮しました。彼はいつしか「複雑な患者の専門家」としてチーム内で知られるようになりました。また、S.K.医師の存在は、彼とともに助け合いながら働く同僚に、障害のある人々に対する理解を与えるとともに、医療チーム全体が、深い相互理解と相互依存に基づく高信頼性組織に近づく機会を提供しました。

この事例を分析するなかで、医療現場で障害の専門性が発揮されるメカニズムとして、以下の3つが特定されました。

  1. 医療技術の本質的目的は何かを深く理解しそれを達成するための柔軟で新しい方法を考案する力

    障害ゆえに標準化された手順をそのまま実行できないことは、医療行為の「本質的な目的は何か」を深く問い直し、その目的を実現する創造的な方法を考案するきっかけとなります。例えば、S.K.医師は新生児の腰椎穿刺を行う際、周囲の臓器を傷つけないように体を確実に固定するという本質的な目的を特定し、独自に固定用の枕を開発し、他の健常な医師たちにも採用されました。標準化された手順に固執するのではなく、目的から逆算して最適な方法を創造するこのアプローチは、暗黙知となりがちな医療技術を言語化・明確化し、結果的に医療教育全体の質を高めることにも繋がりました。

  2. 標準から外れた複雑な状況に置かれた人々の経験を新たな価値創造の機会と捉える視点

    研修医時代、離島に派遣されたS.K.医師は、貧困と周囲の無理解から家に閉じこもっていた障害のある子どもと出会いました。彼は自身の電動車椅子から降り、その子を乗せてあげました。最初はおそるおそる操作していた子どもが、やがて自由に車椅子を操れるようになると、その顔は喜びに輝きました。この経験は、障害分野におけるコンコーダンスの力強い実例です。このような視点は、共著者である笠井が東大病院において、精神障害を持つ当事者をピアサポートスタッフとして雇用するなど、他の分野にも応用されています。

  3. 医療チームや社会全体における相互依存の重要性を理解し実践する力

    障害者のコミュニティには、「我々にとっての自立とは、頼れる人やモノをたくさん持つことだ。自立と依存は対立するものではない。」という思想が受け継がれています。この視点はS.K.医師を介して彼が属する医療チームに導入され、患者やその家族との関係構築だけでなく、医療チーム内の力学にも変革をもたらしました。たとえば、S.K.医師はトイレ介助のような自らの脆弱性を露にする瞬間を同僚と共有しましたが、トイレという空間のなかで同僚もまた自らの悩みや弱さを打ち明けるようになりました。このような自己開示は、チーム内の信頼関係を深め、相互依存の文化を育む上で極めて重要な役割を果たしました。

しかしながら、S.K.医師の研修一年目と二年目の経験を比較しても分かるとおり、医療現場で、無条件に障害の専門性が発揮されるわけではありません。本研究ではそれが発揮される組織的、制度的な条件として、1.患者と医師が障害や性別、言語や民族性などの背景を共有することで医療の質が向上するコンコーダンス効果に注目し、障害を持つ医療専門家を増やすこと、2.医療者や患者の標準から外れた身体や専門性を包摂すべく、教育課程や資格付与、サービス評価における標準化と個別化のバランスをとること、3.「高信頼性組織(High ReliabilityOrganizations)」(注3)の知見を活かし、多様な専門家が脆弱性と強みを補い合い、有機的に連携するチームを育てるリーダーシップや組織文化を醸成すること」の3つを提案しています。

本研究は、医療現場だけでなく、様々な職場で障害のある人々が障害の専門性を発揮して活躍できる条件を考えるうえで重要な示唆を与えます。

発表者・研究者等情報

東京大学
先端科学技術研究センター
熊谷 晋一郎 教授
兼:多様性包摂共創センター 副センター長

大学院医学系研究科
脳神経医学専攻 臨床神経精神医学講座
笠井 清登 教授
兼:医学部附属病院 精神神経科 科長
兼:国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
  主任研究者

論文情報

雑誌名
The Lancet(“CASES IN GLOBAL SOCIAL MEDICINE” Perspectives に掲載)
題名
Disability Expertise: A Pediatrician with Cerebral Palsy in Japan
著者名
Shin-ichiro Kumagaya, Michele Ilana Friedner, Junko Kitanaka, Kiyoto Kasai
DOI
10.1016/S0140-6736(26)01775-7
URL
URL: https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(26)01775-7/fulltext

研究助成

本研究は、科研費「学術変革領域(A)「当事者化」人間行動科学:相互作用する個体脳と世界の法則性と物語性の理解(課題番号:JP 21H05171, JP21H05174, JP21H05175,JP26H00358)」、日本医療研究開発機構(AMED)「AMED 研究倫理・社会共創推進プログラム:精神疾患領域の研究における共創プラットフォームの開発研究(課題番号:JP25oa0439005)」の支援により実施されました。

用語解説

(注1)障害の専門性(Disability Expertise)
医療人類学者のカサンドラ・ハートブレイが提唱したこの概念は、障害のある人々が、スムーズに適合できない社会や制度に適応しようと努力する中で獲得した知識とスキルのことを意味します。それは、障害を資源として認識し、医療に対する新しいアプローチや視点を提供し、結果としてすべての人々のためのケアを向上させるものです。
(注2)医師‐患者コンコーダンス効果(Physician-Patient Concordance Effect)
医師と患者が性別・障害・人種・言語などの社会的属性やコミュニケーションスタイルを共有している場合に、医療の質や治療結果が向上する現象を指します。共通点があると信頼関係や相互理解が深まり、患者の満足度、治療へのアドヒアランス(遵守)、診療効率などが高まる傾向がある一方で、医師と患者の属性の不一致は、誤解や不信感、治療格差の一因となる可能性も指摘されています。
(注3)高信頼性組織(High Reliability Organizations)
航空管制や原子力発電所、医療など、失敗が重大な結果を招く状況でも高い安全性と安定性を維持できる組織を指します。先行研究は、こうした組織の共通特徴として、「失敗への敏感さ」「単純化への抵抗」「現場への感度」「迅速な即興的対応」「専門性の尊重」などを明らかにしてきました。これらは単なるリスク管理ではなく、継続的な学習を可能にする相互信頼に基づく協働の仕組みとして注目されています。

お問い合わせ先

研究内容について

東京大学先端科学技術研究センター
教授 熊谷 晋一郎(くまがや しんいちろう)
Tel:03-5452-5063 E-mail:u-kumashin"AT"g.ecc.u-tokyo.ac.jp

機関窓口

東京大学先端科学技術研究センター 広報広聴・情報支援室
Tel:03-5452-5424 E-mail:press"AT"rcast.u-tokyo.ac.jp

東京大学医学部附属病院 パブリック・リレーションセンター(担当:渡部、小岩井)
Tel:03-5800-9188 E-mail:pr"AT"adm.h.u-tokyo.ac.jp

東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)広報担当
E-mail:pr.ircn"AT"gs.mail.u-tokyo.ac.jp

AMED事業について

日本医療研究開発機構(AMED)
研究開発戦略推進部 社会共創推進課
E-mail:rinri-kyoso"AT"amed.go.jp

※E-mailは上記アドレス“AT”の部分を@に変えてください。

掲載日 令和8年9月4日

最終更新日 令和8年9月4日