プレスリリース 事故で失った幻の手の痛みが脳活動を変える訓練により軽減―脳信号を使って幻肢を動かす技術による新たな治療法の可能性―

プレスリリース

大阪大学
日本医療研究開発機構

研究成果のポイント

  • 事故などで腕を失った後に、失った腕が未だあるように感じ、その幻の腕が痛む、幻肢痛は上肢切断後の約50-80%に生じるとされますが、鎮痛剤などでは治療できず、有効な治療法は確立されていません。
  • 脳信号を使って機械を動かす技術であるブレインコンピュータインターフェイス(Brain computer interface、BCI)を用いて、幻肢に関連した脳活動を変える訓練をすることで、幻肢痛を減らす可能性がある治療法を開発しました。
  • 本提案手法は、短い訓練期間でも、これまでの治療法と同程度の除痛効果が持続することを示し、より多くの患者さんに有効であることが示唆されました。

概要

大阪大学の栁澤琢史教授(高等共創研究院)と齋藤洋一特任教授(常勤)(大学院医学系研究科脳神経機能再生学共同研究講座)らの研究グループは、幻肢痛患者さんが、脳信号を介して動かせる仮想的な幻肢をBCI※1技術により実現し、これを動かす訓練を3日間行うことで、訓練後5日間にわたって、痛みを平均30%以上減弱させることに成功しました。

これまでに、本研究グループは、脳磁計※2で計測した脳信号を元に動くロボット義手(BCI)を開発し、幻肢に関連した脳活動を弱めるようにBCIを設計すると、痛みが減弱することを示していました。しかし、そのようなBCI訓練が実際に治療効果を持つか、また、その効果はどの程度続くかは不明でした。

今回、本研究グループは、BCIで仮想的な幻肢の映像を動かし、幻肢痛のある患者さんが自分の幻肢を動かすつもりで、映像の幻肢を動かすことで、幻肢に関連した脳活動が弱まる訓練を開発しました(図1)。この訓練を3日間行ったところ、訓練後に痛みは平均で30%以上低下し、訓練後5日間は痛みが減弱した状態が続くことが明らかになりました。この成果は、これまで確かな治療法がなかった幻肢痛に対して、BCIを使った訓練が新しい治療法になる可能性を示しました。今後、より簡便な方法で同様の効果のBCI訓練を開発することで、臨床応用されると期待されます。

図1 脳磁計を用いたBCI訓練の概略図
訓練では、患者さんに幻肢の映像を見せながら、脳磁計で脳活動を計測しました。計測された脳磁計信号は人工知能技術を用いて解読され、その結果に基づいて幻肢の映像が制御されました。

本研究成果は、米国科学誌「Neurology」に、2020年7月17日(金)午前6時(日本時間)に公開されます。

研究の背景

事故などで手や足を失ったり、手足の神経が障害され手足の感覚が全くなくなった人でも、頭の中では、まだ手や足があるように感じていることがあります。そのような幻の手や足が、とても痛く感じることを幻肢痛と呼びます。この痛みは、通常の鎮痛薬だけでは消えず、患者さんの生活の質を著しく障害します。幻肢痛は、手や足を失った事に対して、脳が正しく適応できなったために生じると考えられています。そこで、鏡に健常な手足を写し、幻肢が実在するかのように錯覚させることで、幻肢に関連した脳活動を強める訓練(鏡療法)が行われてきました。しかし、鏡療法は全ての患者さんに有効なわけではなく、効果も一時的であることが多く、幻肢痛に対する確立した治療法とはなっていません。また、近年の研究からは、幻肢に関連した脳活動が強まるほど痛みが強くなることが示され、鏡療法のメカニズムについても疑問が生じていました。

本研究グループは先行研究において、BCIで動くロボット義手を、幻肢痛患者さんが自分の幻肢を動かすつもりで制御する訓練をすることで、幻肢に関連した脳活動に変化を誘導して痛みの変化を調べました1)。特に、幻肢を動かした際の脳活動が出現した際にロボットが動くようなBCIを使って訓練した場合、訓練後に幻肢に関連した脳活動が強くなり、幻肢痛も増悪してしまうことが示されました。さらに、健常上肢を動かした際の脳活動に近い脳活動が出現した際にロボットが動くようなBCIを使って訓練すると、幻肢に関連した脳活動が減弱し、痛みが一時的に減弱することが示唆されました。どちらの訓練でも患者さんは自分の幻肢を動かすつもりでロボットを操りましたが、脳活動とロボットの動きの対応関係を変えることで、訓練後には、幻肢を動かす際の脳活動が増強・減弱し、痛みも増強・減弱されました。しかし、そのような訓練が実際に治療効果を発揮するか、訓練後にも持続した痛みの減弱効果があるかは不明でした。

本研究の成果

本研究グループは、脳磁計を使って、患者さんの脳活動をリアルタイムに計測し、得られた計測信号から人工知能技術で脳情報を読み解き(neural decoding※3)、これに基づいて、幻肢の映像をオンラインで動かすBCIを開発しました(図1)。ここで、幻肢の映像は、患者さん自身の健常な手の写真を左右反転することで作成しました。12名の幻肢痛患者さん(切断肢2名、腕神経叢引き抜き損傷後※410名)が本研究に参加しました。患者さんは脳磁計測装置内で、BCIで動く幻肢の映像をみながら、自分の幻肢を動かすつもりで幻肢の映像を動かす訓練をしました。ただし、幻肢の映像は、患者さんが健常な手を動かす際の脳活動に近い信号が検出された時に動くように設定されました。訓練前後の痛みの強さをvisual analogue scale(VAS)※5で評価しました。本研究では、脳活動に基づいて幻肢の画像を動かす訓練を3日間行った場合(実訓練)と、脳活動によらずに幻肢の画像をランダムに動かす訓練を3日間行った場合(偽訓練)とをランダムな順番で行い、幻肢痛の減弱率を比較しました(図2)。

図2 BCI訓練による痛みの減少率
1日目の痛みを基準として痛みの減少率の時間変化を示しました。
赤:正しいBCI訓練を行った場合、黒:偽の訓練を行った場合

患者さんは3日間に渡って幻肢の映像を動かす訓練を行い、その後、自宅にて痛みの変化を観察しました。その結果、BCIの訓練を3日間行った翌日には、痛みは訓練前と比較して平均で32%低下していました。さらに、5日後にも痛みは平均で36%低下していました。このような痛みの低下は、BCIを使わない訓練では見られず、訓練後5日間はBCI訓練の方が統計的有意に痛みを減弱させることが示されました。この成果より、BCIを用いた訓練で幻肢痛を持続的に減弱できることが示されました。

なお、本研究でみられた30%程度の痛み減弱効果は、鏡療法などと比較して同程度の効果でありました。先行研究によると鏡療法を4週間行うことで、幻肢痛が37.6%減弱したと報告されています2)。また拡張現実※6を用いた同様の訓練では32%の疼痛減弱効果が報告されています3)。一方、本研究にご参加いただいた12名のうち、鏡療法を受けた経験がある患者が7名おり、うち少なくとも一時的にも疼痛減弱効果があった方は3名のみでした。しかし、BCI訓練により7名のうち5名で痛みが減り、12名中では9名で痛みが減弱しました。よって、BCI訓練は鏡療法よりも広い範囲の患者に効果が期待されることも示唆されました。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

幻肢痛は肢切断後などに比較的高頻度に生じますが、有効な治療法がないために、幻肢痛患者さんの痛みは長く続き、慢性的な投薬や痛みによる社会生活での困難が大きな問題となります。本研究は、BCIを使った新たな治療法の可能性を示したことで、幻肢痛に苦しむ患者さんにとって福音となると期待されます。今後、より簡便な方法で同様の効果のBCI訓練を開発することで、臨床応用されると期待されます。

参考文献

1) Yanagisawa T, Fukuma R, Seymour B, et al. Induced sensorimotor brain plasticity controls pain in phantom limb patients. Nature communications 2016;7:13209
2) Finn SB, Perry BN, Clasing JE, et al. A Randomized, Controlled Trial of Mirror Therapy for Upper Extremity Phantom Limb Pain in Male Amputees. Front Neurol 2017;8:267
3) Ortiz-Catalan M, Guethmundsdottir RA, Kristoffersen MB, et al. Phantom motor execution facilitated by machine learning and augmented reality as treatment for phantom limb pain: a single group, clinical trial in patients with chronic intractable phantom limb pain. Lancet 2016;388:2885-2894.

特記事項

本研究成果は、2020年7月17日(金)午前6時(日本時間)に米国科学誌「Neurology」(オンライン)に掲載されます。

タイトル
“BCI training to move a virtual hand reduces phantom limb pain: A randomized crossover trial”
著者名
栁澤琢史1-3)*、福間良平2,3)、Ben Seymour4) 、田中将貴2)、細見晃一2,5)、山下宙人3)、貴島晴彦2)、神谷之康3、6)、齋藤洋一2,5)責任著者)
所属
1)大阪大学 高等共創研究
2)大阪大学大学院 医学系研究科 脳神経外科学
3)ATR脳情報研究所
4)情報通信研究機構
5)大阪大学大学院 医学系研究科 脳神経機能再生学
6)京都大学 大学院 情報学研究科 知能情報学専攻

本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)「戦略的国際脳科学研究推進プログラム」(JP19dm0307008)、科学技術振興機構(JST)「CREST(JPMJCR18A5)」「ERATO(JPMJER1801)」、日本学術振興会科学研究費助成事業(JP17H06032, JP15H05710)の一環として行われ、(株)国際電気通信基礎技術研究所神経情報学研究室/京都大学大学院情報学研究科神谷之康教授およびCambridge University/CiNet/iFReC Ben Seymour教授の協力を得て行われました。

用語説明

※1 BCI(Brain-Computer Interface)
脳信号を使って機械を動かす技術などをBCIと呼びます。体に麻痺のある患者さんでも、脳信号から運動企図を検知して、麻痺した体の代わりにロボット(義手)を動かすことができます。
※2 脳磁計
脳の神経細胞が発する微弱な磁気を計測することで高精度に脳活動を計測できる装置です。
※3 neural decoding(ニューラル デコーディング)
脳波などの脳信号を人工知能技術で解析し、その信号に含まれる脳情報を読み解く技術です。BCIにおいて、運動意図などを推定するために必要な技術です。
※4 腕神経叢引き抜き損傷
事故などで腕の神経が脊髄から抜けてしまった状態です。腕はありますが、感覚はなく動かすこともできません。
※5 Visual analogue scale(VAS)
痛みの強さを評価するための一般的な方法です。10cmの横線を被験者に見せ、右端が「考えられる最悪の痛み」、左端が「痛みなし」とした場合に、今の痛みがどのあたりであるかを線の上にマークをつける形で示して頂きます。痛みの強さは左端からマークまでの長さとして測ります。
※6 拡張現実
実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示することで、目の前にある世界を仮想的に拡張すること。

本件に関するお問い合わせ先

研究に関すること

栁澤琢史(やなぎさわたくふみ)
大阪大学 高等共創研究院 教授
TEL:06-6879-3652 FAX:06-6879-3659
E-mail:tyanagisawa“AT”nsurg.osaka-u.ac.jp

報道に関すること

大阪大学大学院 医学系研究科 広報室
TEL:06-6879-3388 FAX:06-6879-3399
E-mail:medpr“AT”office.med.osaka-u.ac.jp  

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E-mail:brain-i“AT”amed.go.jp

※E-mailは上記アドレス“AT”の部分を@に変えてください。

掲載日 令和2年7月17日

最終更新日 令和2年7月17日