プレスリリース ヒトiPS細胞由来神経幹細胞移植治療による脊髄損傷からの運動機能改善メカニズムの解明―移植したニューロンの治療効果について―

プレスリリース

慶應義塾大学医学部
日本医療研究開発機構

慶應義塾大学医学部生理学教室の岡野栄之教授、整形外科学教室の中村雅也教授、北川剛裕助教、名越慈人専任講師らを中心とした研究グループは、脊髄損傷マウスに対するヒトiPS細胞由来神経幹/前駆細胞(注1)移植における、移植細胞から分化したニューロンの機能をDREADDsと呼ばれる人工受容体技術(注2)を用いて初めて解明しました。

これまで本研究グループは亜急性期(注3)の脊髄損傷動物に対するヒトiPS細胞由来神経幹/前駆細胞移植治療の有効性を報告してきました。古くより、損傷で失われた脊髄の神経系細胞は再生しないとされてきましたが、本治療はその神経系細胞を補填できる画期的な手法として研究をすすめてきました。移植された細胞は脊髄組織内でニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトを中心に分化・生着することで、さまざまなメカニズムを介して脊髄損傷から運動機能の改善に導くと予想されております。一方で、本治療により運動機能が改善する詳細なメカニズムを直接証明する報告は限られていました。

本研究では、抑制型の人工受容体(DREADDs)の遺伝子を導入した神経幹/前駆細胞を移植し、移植細胞より分化したニューロンの神経活動を特異的に制御した際に運動機能が低下したことから、移植細胞由来ニューロンが脊髄損傷からの運動機能の改善に寄与していたことを示しました。

この結果は、本治療の特徴である失われた神経系細胞を補填することの有効性を裏付けるものであると共に、今後、この移植治療をさらに発展させていく上で移植細胞由来ニューロンの機能を向上させることの重要性を示唆するものです。

本研究成果は、2022年1月11日(米国東部時間)に『Stem Cell Reports』のオンライン版に掲載されました。

研究の背景と概要

脊髄損傷は、交通事故などの外傷を契機として、脊髄実質に強い外力が加わり障害が生じることで、運動・知覚・自立神経の麻痺を呈する病態です。日本では、年間約5,000人の新規脊髄損傷患者が発生し、累計患者数は20万人以上に達しています。

脊髄損傷による神経系細胞の障害・損失は一般的に不可逆的であるとされ、未だに確立した治療法は存在していません。本研究グループは、失われた神経系細胞を補うことで脊髄損傷からの回復を目指す神経幹/前駆細胞移植治療について研究を重ねてきました。京都大学iPS細胞研究所と連携した研究を行うことでヒトiPS細胞から神経幹/前駆細胞を樹立することに成功し、この細胞移植治療は臨床応用に至る段階まで進められています。

この移植治療の脊髄損傷に対する有効性はこれまでに多く報告されてきた一方で、生着した神経系細胞が生体内でどのように機能しているかは未だ明確に解明されていませんでした。本研究ではDREADDsと言われる人工受容体を用いて、移植した細胞から分化したニューロンの神経活動を特異的かつ可逆的に制御することで、移植細胞の神経活動が運動機能にどのように関与しているか評価しました。

研究の成果と意義・今後の展開

ヒトiPS細胞由来神経幹/前駆細胞に予め神経活動を抑制する人工受容体の遺伝子を導入しました。人工受容体を発現したニューロンは培養環境においてこの受容体作用により神経活動抑制を生じることが確認されました(図1)。この神経幹/前駆細胞を移植した脊髄損傷マウスで、運動機能が改善した後に、人工受容体の作用を用いて移植細胞由来ニューロンの神経活動のみを特異的に抑制したところ、マウスの運動機能が一時的に低下しました(図2)。このことから、生着した移植細胞から分化したニューロンはマウスの神経回路に組み込まれ、運動機能の改善の一役を担っていることが示されました。

図1 培養環境でのDREADDsを用いた神経活動制御(Caイメージング)
人工受容体を発現したニューロンはリガンド(CNO:clozapine N-oxide)の投与により神経活動が抑制された。
図2 移植ニューロンの神経活動を制御した際の運動機能変化
CNO投与によりより宿主の運動機能の低下(歩幅減少)を認めた。

本治療の大きな特徴でもある失われた神経系細胞を補填することの有効性を示した本研究は、移植治療の臨床応用に進めるにあたり重要な結果です。また、移植細胞由来ニューロンの機能を向上させることが治療効果を高める可能性を示した意味でも今後の研究につながる大きな結果となりました。

特記事項

本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)・再生医療実現拠点ネットワークプログラム疾患・組織別実用化研究拠点(拠点A)「iPS細胞由来神経前駆細胞を用いた脊髄損傷・脳梗塞の再生医療」、慶應義塾大学医学部研究奨励費及び一般社団法人日本損害保険協会交通事故医療研究助成の支援によって行われました。

論文

英文タイトル
Modulation by DREADD reveals the therapeutic effect of human iPSC-derived neuronal activity on functional recovery after spinal cord injury
タイトル和訳
脊髄損傷に対するヒトiPS細胞由来神経幹細胞移植におけるDREADDsを用いた移植ニューロンの機能解明
著者名
北川剛裕、名越慈人*、鎌田泰裕、河合桃太郎、吾郷健太郎、梶川慶太、柴田玲生、佐藤裕太、今泉研人、信藤知子、篠崎宗久、神山淳、芝田晋介、松本守雄、中村雅也、岡野栄之*(*責任著者)
掲載誌
Stem Cell Reports(オンライン版)
DOI
10.1016/j.stemcr.2021.12.005

用語解説

(注1)神経幹/前駆細胞
未分化な状態を保ったまま増殖することが可能な自己複製能と、中枢神経系を構成する3系統の細胞(ニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイト)へと分化できる多分化能を併せ持つ細胞です。
(注2)人工受容体技術
近年開発されたDREADDs(Designer Receptors Exclusively Activated by Designer Drugs)は、生体内にある受容体を遺伝子改変した人工受容体で、本来はヒトには薬理作用を持たないCNO(clozapine N-oxide)に反応し、細胞にさまざまな効果を及ぼすことができます。この遺伝子を目的の細胞に発現させることで、目的の細胞のみを操作できるツールとして注目を集めています。本研究ではDREADDsの中で、移植細胞の神経活動を抑制することができるhM4Diを使用しました。
(注3)亜急性期
マウスでは脊髄損傷後約9日、ヒトでは2-4週に相当する期間です。脊髄損傷直後の急性期の炎症反応が沈静化されながら、同時に組織の再生を阻害する瘢痕形成が起こる前の時期として細胞移植に理想的なタイミングと捉えられています。

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慶應義塾大学医学部生理学教室
教授 岡野 栄之(おかの ひでゆき)
〒160-8582 東京都新宿区信濃町35
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E-mail:hidokano“AT”a2.keio.jp

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掲載日 令和4年1月12日

最終更新日 令和4年1月12日