プレスリリース 筋萎縮性側索硬化症(ALS)に対する新たな治療概念の実証 ― 神経筋接合部の形成増強によるALSモデルマウスの病態改善と延命 ―

プレスリリース

国立大学法人東京大学
国立研究開発法人日本医療研究開発機構

発表者

山梨 裕司(東京大学医科学研究所 腫瘍抑制分野 教授)
三好 貞徳(研究当時:東京大学医科学研究所 腫瘍抑制分野 博士課程3年生)

発表のポイント

  • 根本的な治療法がなく、新たな治療概念の創出が希求されている筋萎縮性側索硬化症(ALS)のモデルマウスにおいて、研究グループが本学にて開発した神経筋接合部(NMJ)の形成増強治療による病態の改善と延命効果を実証しました。
  • モデルマウスや臨床検体の解析から、ALSの初期病態としてNMJの変性(運動神経軸索末端の萎縮と脱離)が注目されていましたが、本研究により、NMJ変性を標的とするNMJ形成増強治療のALSモデルマウスに対する有効性が実証されました。
  • 本研究成果は、独自に開発したNMJ形成増強治療の概念が筋無力症などの筋原性疾患だけでなく、ALSなどの神経原性疾患にも有効である可能性を提示するもので、加齢性の筋萎縮を含む広範な神経筋疾患への展開が期待されます。

発表概要

私たちの運動機能には、運動神経を介した骨格筋収縮の緻密な制御が必要です。神経筋接合部(NMJ、注1)は運動神経と骨格筋を結ぶ唯一の「絆」(神経筋シナプス)であり、その喪失は呼吸を含めた運動機能の喪失を意味します。東京大学医科学研究所の山梨裕司教授らの研究グループは、これまでにNMJの形成に必須のタンパク質としてDok-7を、また、そのヒト遺伝子(DOK7)の異常による劣性遺伝病としてNMJの形成不全を呈するDOK7型筋無力症(注2)を発見しています。さらに、研究グループは、マウスを用いた実験から、DOK7発現ベクター(注3)の投与によりNMJを後天的に拡張できることを確認し、また、DOK7型筋無力症を発症したマウスや筋ジストロフィーの一種を発症したマウスへの投与によりそれらの運動機能が改善され、生存期間が延長されることを実証していました。一方、これらの筋原性疾患(注4)に加え、筋萎縮性側索硬化症(ALS)(注5)に代表される運動神経変性疾患においても、その初期病態としてNMJでの運動神経軸索末端の萎縮や脱離(NMJ変性)が注目されていました。しかしながら、その治療標的としての可能性については未解明でした。

研究グループは運動機能の低下を示したALSモデルマウス(注6)DOK7発現ベクターを投与することにより、1)NMJ変性の抑制、2)筋萎縮の抑制、3)運動機能の改善、4)生存期間の延長、を実証しました。

本研究の成果として、本学で開発したNMJ形成増強治療が、根本的な治療法のないALSに対する新たな治療概念となり得ることが実証されました。さらに、本成果はALSを筆頭に、NMJ形成不全との関連が解き明かされつつある他の運動神経変性疾患や加齢性の筋萎縮(注7)に対する治療法の開発にもつながることが期待されます。

本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構の難治性疾患実用化研究事業および橋渡し研究加速ネットワークプログラム、文部科学省科学研究費補助金などの助成を受けて実施されました。

発表内容

1.研究の背景・先行研究における問題点

私たちが呼吸をし、活動するためには、運動神経によって骨格筋収縮を緻密に、素早く制御する必要があります。この時、運動神経からの制御シグナルは神経筋接合部(NMJ)という特殊な構造(神経筋シナプス)を介して骨格筋に伝達されます(神経筋伝達)。哺乳動物のNMJはひとつの筋線維の中央部分にひとつだけ形成されるかけがえのない「絆」であり、その喪失は呼吸を含めた運動機能の喪失を意味します。研究グループは、これまでNMJの形成に必須のタンパク質としてDok-7を発見し(Science 312:1802-1805, 2006)、さらに、ヒトDOK7遺伝子の異常による劣性遺伝病としてDOK7型筋無力症を発見し、それがNMJの形成不全病であることを解明しています(Science 313:1975-1978, 2006)。その他にも、研究グループはDok-7がNMJの形成に必要な、筋線維に特異的に発現する受容体(受容体型チロシンキナーゼMuSK)に必須の細胞内活性化因子であることを突き止めると共に(Science Signaling 2:ra7, 2009)、DOK7発現ベクターの投与によるNMJ形成の増強(NMJの拡張)が、NMJ形成不全を呈するDOK7型筋無力症やある種の筋ジストロフィーのモデルマウスに有効な治療戦略(NMJ形成増強治療)になることを実証しています(Science 345:1505-1508, 2014)。

一方で、これらの筋原性疾患だけでなく、現在まで根本的な治療法が見つかっていない筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経原性疾患(注4)や加齢性の筋萎縮などにおいてもNMJ形成不全との関連が報告されています。しかしながら、その治療標的としての可能性については未解明でした。

2.研究内容(具体的な手法など詳細)

前述の筋無力症や筋ジストロフィーのモデルマウスに対する研究と同じく、NMJの形成を人為的に増強する手法として、ヒトやマウスでの安全性と長期にわたる外来遺伝子の発現に優れたアデノ随伴ウイルス(AAV:adeno-associated virus)を用いて作出したヒトDOK7遺伝子発現ベクター(AAV-D7)を使用しました。また、ALSのモデルマウスとしては家族性ALSの約2割を占めるSOD1(Superoxide dismutase 1)変異型ALSのモデルマウス(SOD1-G93Aトランスジェニックマウス)を用いました。このALSモデルマウス(以下、「ALSマウス」)の筋力低下が明らかになる時点(90日齢)でAAV-D7を投与したところ、NMJの変性(運動神経軸索末端の萎縮と脱離)と筋萎縮が抑制されました(模式図)。さらに、より臨床に近い、厳格な基準により個体ごとの発症を確認した後で、それぞれのALSマウスにAAV-D7を投与したところ、各ALSマウスの運動機能の低下が改善され、出生後と発症後の両者における生存期間の延長が実証されました。

3.社会的意義・今後の予定など

本研究の成果は、研究グループが本学において創出したNMJ形成増強治療の概念が筋無力症などの筋原性疾患だけでなく、重篤な、また、根本的な治療法のない運動神経変性疾患であるALSに対する新たな治療戦略を提示する点において大きな社会的な意義を有します。さらに、筋無力症や運動神経変性疾患に類似のNMJ形成不全が加齢とともに顕在化することが明らかにされつつある点においては、高齢化社会の重要課題である加齢性の筋萎縮を含む広範な神経筋疾患への応用が期待されます。また、本研究はAAV-D7を用いた遺伝子治療の基礎研究であるだけでなく、化合物を用いたNMJ形成増強治療にも道を拓くべき「治療概念の実証研究」としての側面を併せもちます。それ故に、ALSの治療に向けた橋渡し研究(注8)の推進と共に、老齢マウスを含む様々な疾患モデル動物(注6)に対する有効性を検証する研究や、NMJ形成増強効果をもつ化合物の開発、さらには運動神経保護薬などの、異なる作用機序をもつ薬剤との併用治療に関する研究の推進が急がれます。

発表雑誌

雑誌名:
「EMBO Molecular Medicine」(2017年5月10日オンライン掲載予定)
論文タイトル:
DOK7 gene therapy enhances motor activity and life span in ALS model mice
著者:
Sadanori Miyoshi, Tohru Tezuka, Sumimasa Arimura, Taro Tomono, Takashi Okada and Yuji Yamanashi
DOI 番号:
10.15252/emmm.201607298

用語解説

(注1)神経筋接合部:
運動神経からの制御シグナルを骨格筋(筋線維)に伝える唯一の化学シナプスであり、NMJ(neuromuscular junction)とも呼ばれます。ヒトを含む哺乳動物では各筋線維の中央部にひとつだけ形成され、運動神経の軸索末端(前シナプス)から放出されるアセチルコリンが筋線維の後シナプス部位に凝集しているアセチルコリン受容体を刺激することで骨格筋の収縮が誘導されます(模式図:左端の図を参照)。
(注2)DOK7型筋無力症:
筋無力症は神経筋接合部の異常が直接の原因となって発症する神経筋疾患の総称で、易疲労性の筋力低下を特徴とし、重篤例では呼吸不全により死に至ります。研究グループが発見したDOK7型筋無力症は先天性筋無力症に分類される劣性遺伝病であり、神経筋接合部の大きさが健常者の半分程度に小さくなる神経筋接合部の形成不全による疾患です。
(注3)ベクター:
遺伝子を用いた治療法においては、標的とする細胞・組織に特定の遺伝子を発現させるもの(運搬体)を意味します。本研究ではアデノ随伴ウイルスがDOK7遺伝子を発現させるための運搬体として使われており、それ故、ベクターとして扱われます。
(注4)筋原性疾患と神経原性疾患:
それぞれ、筋肉の異常に主な原因がある疾患(筋原性疾患)と神経の異常に主な原因がある疾患(神経原性疾患)を意味する用語です。
(注5)筋萎縮性側索硬化症(ALS;Amyotrophic Lateral Sclerosis):
様々な要因によって発症する、上位運動ニューロンと下位運動ニューロンに選択的な神経変性疾患(運動神経変性疾患)であり、運動機能の低下と筋委縮を特徴とし、約半数は発症後数年で主に呼吸筋麻痺により死亡する重篤な疾患です。
(注6)疾患モデルマウス(動物):
ヒト疾患の病因・病態を高度に再現するマウス(動物)の総称であり、発症機構の解明や予防・治療・診断等の非臨床試験に用いられます。
(注7)加齢性の筋萎縮:
加齢に伴う筋量の低下を意味する用語であり、一定の基準を満たす場合はサルコペニア(加齢性筋肉減少症)とも呼ばれます。
(注8)橋渡し研究:
トランスレーショナルリサーチとも呼ばれ、本研究のように、「神経筋接合部の形成機構の解明」という基礎研究そのものでもなく、また、「神経筋疾患の治療」という典型的な臨床研究でもなく、その両者をむすぶ研究を意味します。

添付資料

お問い合わせ先

東京大学医科学研究所腫瘍抑制分野
教授 山梨 裕司(やまなし ゆうじ)
TEL:03-6409-2115/FAX:03-6409-2116
Email:yyamanas"AT"ims.u-tokyo.ac.jp

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掲載日 平成29年5月10日

最終更新日 平成29年5月10日