プレスリリース 発達期小脳において、脳由来神経栄養因子 (BDNF) は シナプスを積極的に弱め除去する「刈り込み因子」としてはたらく

プレスリリース

発表者

狩野 方伸(東京大学大学院医学系研究科 機能生物学専攻 神経生理学分野 教授)

発表のポイント

  • 生後発達期の小脳において、不要な神経結合(シナプス)の除去(シナプス刈り込み)に脳由来神経栄養因子(BDNF、注1)が関わることを明らかにしました。
  • BDNFはシナプス後部の神経細胞であるプルキンエ細胞(注2)から放出され、シナプス前部の登上線維(注3)に存在するTrkB受容体に作用して、シナプス刈り込みを促進することを明らかにしました。
  • BDNFが栄養因子ではなくシナプスを積極的に弱め除去する「刈り込み因子」としてはたらくという、この分子の新たな機能を明らかにし、生後発達期の機能的神経回路形成メカニズムの解明に貢献しました。

発表概要

統合失調症や自閉スペクトラム症の病態の根底には、神経回路の発達異常があると考えられています。生後間もない脳には過剰な神経結合(シナプス)が存在しますが、発達の過程で不要なシナプスは除去されて、機能的な神経回路が完成します。この過程は「シナプス刈り込み」と呼ばれ、機能的な神経回路が出来上がるために不可欠とされています。しかし、シナプス刈り込みがどのような仕組みによって起こるかは完全には理解されておらず、特にどの分子がどの細胞で働くことでシナプス刈り込みが実現するかは不明でした。

今回、東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻神経生理学分野の秋明貞研究員と狩野方伸教授らの研究グループは、発達期の小脳において、脳由来神経栄養因子(BDNF)がシナプス刈り込みを促進することを発見しました。

本研究グループは発達期のマウス小脳の登上線維とプルキンエ細胞との間のシナプスにみられるシナプス刈り込みに注目しました。シナプス後部のプルキンエ細胞から放出されたBDNF分子が、シナプス前部の登上線維に存在するTrkB受容体に、逆行性シグナル(注4)として働き、シナプスの刈り込みを促進することを明らかにしました。さらに、BDNF分子は代謝型グルタミン酸受容体(mGluR1、注5)やクラス7セマフォリン(Sema7A)(注6)と協調して、シナプス刈り込みを促進することを見出しました。脳の様々な部位において、BDNFはシナプスを強める「栄養因子」として働くことは広く知られていましたが、発達期の小脳においては、BDNFはシナプスを積極的に刈り込む「懲罰因子」として働くことが明らかになりました。

本研究成果は、8月4日(金)に「Nature Communications」オンライン版に掲載予定です。

本研究は、科学研究費補助金の助成を受けて行われました。また、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト」および「脳科学研究戦略推進プログラム」の一環として実施されました。

発表内容

1.研究の背景・先行研究における問題点

脳が正常に機能するためには、神経細胞が適切な相手と、適切な数と強さの結合(神経結合)を作り、機能的な神経回路が作られなければなりません。生まれたばかりの動物の脳には過剰な神経結合(シナプス)が存在しますが、生後の発達過程において、必要なシナプスは残り、不要なシナプスは除去されて、機能的な神経回路が完成します。この過程は「シナプス刈り込み」と呼ばれており、生後発達期の機能的な神経回路の形成に不可欠とされています。特に、社会性障害をきたす代表的な疾患である統合失調症や自閉スペクトラム症の病因には、神経回路の発達の異常が知られており、これは発達の特定の時期に起こるシナプス刈り込みの異常による可能性が指摘されています。これまでの研究から、シナプス刈り込みには逆行性シグナルのはたらきが必須であると考えられており、発表者のグループはセマフォリン(Sema7AとSema3A)が登上線維シナプスの刈り込みの逆行性シグナルの一端を担っていることを明らかにしてきました。しかし、登上線維シナプスの刈り込みにはセマフォリン以外の逆行性シグナル分子も関わると考えられており、その分子実体は不明でした。

2.研究内容

本研究では、シナプス刈り込みを定量的に評価できるマウスの小脳の登上線維とプルキンエ細胞の間のシナプス結合の生後発達に着目しました。生まれたばかりの動物のプルキンエ細胞には、ほぼ同じ強さの信号を伝える5本以上の登上線維がプルキンエ細胞の根元に相当する細胞体にシナプスを形成していますが、成熟した動物ではわずか一本の強力な信号を伝える登上線維が、細胞体から大木の枝のように張り出した樹状突起にシナプスを形成しています。生後発達の過程で、1本の登上線維のみが強い信号をプルキンエ細胞に伝えられるようになり(“勝者”の登上線維)、これ以外の弱い信号を伝える登上線維(“敗者”の登上線維)は除去されて、成熟した動物のプルキンエ細胞は、1本の勝者のプルキンエ細胞からのみシナプスを受けるようになります。

研究グループはまず、発達期小脳の登上線維-プルキンエ細胞シナプスの刈り込みにおけるBDNFの働きを明らかにするために、プルキンエ細胞においてBDNFを欠損するマウスを作製し、さまざまな発達時期において電気生理学的解析を行いました。その結果、BDNFの発現を欠損させたプルキンエ細胞では生後14日目まではシナプスが正常に刈り込まれましたが、生後15日目以降でシナプス刈り込みに障害が観察されました。

さらに、BDNFがプルキンエ細胞から登上線維に直接働きかける逆行性シグナルであるかを調べるために、BDNFの高親和性受容体TrkB及び低親和性受容体p75NTRの遺伝子の発現をプルキンエ細胞あるいは登上線維で抑えたマウスを作製し、シナプス刈り込みへの影響を調べました。TrkB及びp75NTRの遺伝子をプルキンエ細胞においてノックアウトしたマウスでは、登上線維シナプスの刈り込みは正常でした。また、p75NTRに対するmiRNAを生後1日の下オリーブ核(登上線維の起始神経核)に導入して、登上線維においてp75NTRの発現を抑えたマウスでも登上線維シナプス刈り込みは正常でした。一方、登上線維においてTrkBの発現を抑えたマウスではシナプス刈り込みが障害されていました。この結果から、プルキンエ細胞ではなく、登上線維に存在するTrkBが登上線維シナプスの刈り込みに関与することが明らかとなり、即ちBDNFはシナプス後部のプルキンエ細胞からシナプス前部の登上線維に向かって、逆行性シグナル分子としてはたらくことが明らかとなりました。また、代謝型グルタミン酸受容体1型(mGluR1)は、プルキンエ細胞に存在して登上線維シナプス刈り込みを促進する重要な分子ですが、BDNFはmGluR1シグナルの下流で働くことを明らかにしました。さらに、シナプス刈り込みを促進する逆行性シグナル分子であるSema7AとBDNFが同じ経路にあることも明らかにしました。以上の結果から、発達期小脳の登上線維-プルキンエ細胞シナプスの刈り込みにおいて、プルキンエ細胞由来のBDNFが登上線維のTrkBに逆行性シグナルとして作用し、生後15日以降にプルキンエ細胞の細胞体から過剰な登上線維シナプスを刈り込むこと、このシグナル経路がmGluR1-Sema7Aと同一経路上にあることを明らかにしました。

3.社会的意義・今後の予定

社会性障害をきたす代表的な疾患である統合失調症や自閉スペクトラム症の病因には、神経回路の発達異常が知られており、これは発達の特定の時期に起こるシナプス刈り込みの異常による可能性が指摘されています。さらに、統合失調症や自閉スペクトラム症をもつ方の脳では、BDNF遺伝子やそれらの受容体遺伝子に変異や発現異常があることが相次いで報告されています。今後BDNFやそれらの受容体を欠損したマウスをさらに詳しく調べ、さらにはヒトでの臨床的な検証と組み合わせることで、これらの精神疾患の病態を「BDNF」および「シナプス刈り込み」の視点から解明することができる可能性があります。

発表雑誌

雑誌名:
「Nature Communications」
論文タイトル:
Retrograde BDNF to TrkB signaling promotes synapse elimination in the developing cerebellum
著者:
Myeongjeong Choo, Taisuke Miyazaki, Maya Yamazaki, Meiko Kawamura, Takanobu Nakazawa, Jianling Zhang, Asami Tanimura, Naofumi Uesaka, Masahiko Watanabe, Kenji Sakimura, Masanobu Kano
DOI番号:
10.1038/s41467-017-00260-w
アブストラクト:

用語解説

(注1)脳由来神経栄養因子(BDNF):
神経細胞の生存、成長やシナプスの機能亢進など、神経系の発達と維持に重要な働きをする液性蛋白質の一つ。
(注2)プルキンエ細胞:
小脳皮質に存在する大型の神経細胞で、小脳皮質の信号を、小脳核を介して大脳、脳幹、脊髄に送り、円滑な運動を行うために重要な働きをしています。
(注3)登上線維:
脳幹の延髄にある神経核(下オリーブ核)から、小脳皮質のプルキンエ細胞へ情報を伝える入力線維。大人では、ほとんどのプルキンエ細胞が、わずか1本の登上線維からシナプスを受けています。
(注4)逆行性シグナル:
神経細胞間のシナプスは、神経伝達物質を含む小胞が集まっているシナプス前部と伝達物質の受容体が集まっているシナプス後部から成っています。シナプスでは、シナプス前部から神経伝達物質がシナプスの隙間に放出され、シナプス後部細胞の神経伝達物質受容体に結合して情報が伝えられます。このようなシナプス前部から後部への「順行性」のシナプス伝達に対して、シナプス後部から前部に向けて、逆向きに情報が伝えられることがあり、この現象を担う分子を「逆行性」シグナルと呼びます。
(注5)代謝型グルタミン酸受容体 1型(mGluR1):
グルタミン酸は、脳神経系で働く興奮性の伝達物質であり、その受容体はイオンチャンネル型と代謝型に分けられます。代謝型グルタミン酸受容体は、Gタンパク質共役型受容体であり、細胞に様々なシグナルを伝えます。代謝型グルタミン酸受容体は8タイプ有り、その中の1型 (mGluR1)は、小脳登上線維シナプスの刈り込みに必須の分子であることが示されています。
(注6)クラス7セマフォリン:
細胞間のシグナル伝達に関わるタンパク質群であり、セマドメインと呼ばれる共通した配列を持っています。セマフォリンは、分泌型、細胞膜貫通型、GPI(グリコシルホスファチジルイノシトール)アンカー型が有り、セマドメインに隣接する部分の配列の違いから7つのサブファミリーに分けられています。クラス7セマフォリンは糖脂質であるGPIで膜にアンカーされている膜タンパク質です。筆者らのグループは、以前プルキンエ細胞にあるクラス7セマフォリンがBDNFと同様にシナプスを弱める「刈り込み因子」としてはたらくことを見つけています。このクラス7セマフォリンの作用には登上線維に存在するプレキシンC1(PlxnC1)とインテグリンB1(ItgB1)というタンパク質が必要なことがわかっています(添付資料 図参照)

添付資料

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本研究成果のまとめ
マウスの生後15日目以降におこるシナプス除去後期過程において、プルキンエ細胞のBDNFは登上線維のTrkBに結合し、Sema7Aと協調することで敗者の登上線維シナプスを除去する。この作用にはmGluR1シグナルが必要である。

お問い合わせ先

研究内容に関すること

東京大学大学院医学系研究科 機能生物学専攻 神経生理学分野 
教授 狩野 方伸(かのう まさのぶ)  
TEL:03-5841-3538 FAX:03-5802-3315 
E-mail:mkano-tky“AT”m.u-tokyo.ac.jp

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日本医療研究開発機構 戦略推進部 脳と心の研究課
〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 読売新聞ビル22F
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掲載日 平成29年8月4日

最終更新日 平成29年8月4日