プレスリリース 膵がんの新たな治療方法の道筋へ-膵がんが段階的に悪性化する仕組みを解明-

プレスリリース

慶應義塾大学医学部
国立研究開発法人日本医療研究開発機構

慶應義塾大学医学部内科学(消化器)教室の佐藤俊朗准教授らの研究グループは、39例のヒト由来の膵がん細胞を体外で効率的に増殖させることに成功し、その詳細な解析によって、膵がんは周囲の環境から与えられた細胞増殖物質に依存することなく増殖可能となることで悪性化していくことを明らかにしました。

近年、膵がんの遺伝子情報を詳しく分析することで、膵がん患者の生存期間に違いがあることがわかってきました。しかし、その原因は不明であり、それを利用した治療への応用もなされていませんでした。

佐藤俊朗准教授らの研究グループは、細胞の外側から働きかけて増殖を刺激するWntとRspondinという2つの物質が、膵がんの悪性化に深く関わっていることを発見しました。さらに、膵がんはこの2つの物質を膵がん自身の増殖に必要とするかどうかで、段階的に悪性化する3つのタイプに分類でき、その違いはGATA6という遺伝子の発現の量に連動して定められていることを明らかにしました。

また、研究グループでは、CRISPR/Cas9システムという遺伝子改変技術(注1)を用いて人工膵がんを作製し、膵がんが悪性化していく過程を再現することに成功しました。

本研究は、ヒト由来の膵がん細胞を効率的に増殖させる技術を利用し、段階的に悪性化していく仕組みを世界で初めて明らかにしており、今後の膵がん根治を目指した治療法への道筋となることが期待されます。

この研究成果は、2018年1月11日(米国東部時間)に米科学誌『Cell Stem Cell』のオンライン版に掲載されました。

1.研究の背景と概要

膵がんの生存率はあらゆるがん種の中で最も低く、2008年に診断された膵がん患者の5年相対生存率はいまだに10%に達していません(全国がんセンター協議会「全がん協加盟施設の生存率共同調査」)。これは膵がんが無症状のうちに進行し、手術困難な状態で発見される例が多いこと、抗がん剤治療の効果も長くは続かないことによると考えられます。

一方で、近年の遺伝子解析技術の進歩により、膵がん患者を生存期間別に分類できることが明らかとなりましたが、生存期間に差異が生まれる根本的な原因がわからないため、治療へ応用させることができていませんでした。

佐藤俊朗准教授、清野隆史助教らの研究グループは、佐藤准教授らが先行研究で開発したオルガノイド培養技術(注2)をヒトの膵がん細胞の体外培養に応用し、39例という大規模な培養膵がん細胞(以下、膵がんオルガノイド)によるがん細胞ライブラリーを作製することに成功しました。

がん関連遺伝子の中には、その遺伝子産物が不活性化することによりがん細胞の異常増殖が引き起こされる場合があります。一方、今回の膵がんオルガノイドを用いた実験の結果では、対応するがん関連遺伝子が損傷していないのにも関わらず、通常、正常な膵臓の細胞の増殖に関与するはずのWntとRspondinという2つの物質の関与が見られない例があることが分かりました。本研究では、この2つの物質が関与する必要性によって膵がんを3つのタイプに分類しました。すなわち、①WntとRspondinが関与するタイプ、②Wntは関与せずRspondinのみが関与するタイプ、③WntもRspondinも関与しないタイプです。

本研究では膵がんオルガノイドとがん細胞の周囲に存在する線維芽細胞を接着させながら膵がん細胞を増殖させる新しい培養手法によって、①WntとRspondinが関与するタイプは、線維芽細胞が分泌したWntを受け取っていることが示されました(Wnt非分泌型)。また、自己産生したWntの働きを抑える薬が効果を示したことから、②Rspondinのみの関与が伺えるタイプでは、がん細胞自身が分泌したWntに依存して増殖が起こると推論することができました(Wnt分泌型)。③WntとRspondinは同一のシグナル伝達経路に作用し、RspondinはWntシグナルを増幅する役割があると考えられていることから、WntとRspondinの両者が関与しないタイプでは、Wntシグナルそのものが不要となっていると推論されました(Wnt/Rspo非依存型)。

さらに、遺伝子発現情報を詳細に解析した結果、膵がんはWnt非分泌型、Wnt分泌型、Wnt/Rspo非依存型の順に遺伝子の発現パターンが連続的に変化しているため、Wnt、Rspondinの必要性という側面からみた膵がんの3つのタイプは、その背後で遺伝子発現プログラム全体が変化していると考えられました。

このような変化を生じる要因を探るため、メチル化マイクロアレイ解析によってエピジェネティック(注3)な遺伝子発現制御について解析した結果、GATA6という遺伝子が膵がんのタイプを決めている可能性が示唆されました。実際に、Wnt非分泌型の膵がんオルガノイドに対して、人為的にGATA6の発現を低下させるとWnt分泌型に変化し、逆に、Wnt分泌型の膵がんオルガノイドに対して、人為的にGATA6の発現を上昇させるとWnt非分泌型に変化することが示され、膵がんはGATA6の発現と連動してWntの必要性が変化することが明らかとなり、GATA6の発現低下に伴って悪性化していくことも見出しました(図1)。


【図1】膵がんは細胞増殖物質であるWnt、Rspondinの必要性によって、①Wnt非分泌型、②Wnt分泌型、③Wnt/Rspondin非依存型に分類され、この順にGATA6の発現低下を伴いながら、悪性化していく。
 

さらに、培養したヒトの正常膵管細胞に対して、CRISPR/Cas9システムという遺伝子改変技術を用いて、膵がんで多くみられる4つの遺伝子(KRAS、CDKN2A、TP53、SMAD4)に変異を導入することで、人工膵がんを作製することに成功しました。この人工膵がんは、周囲にWntが存在する環境ではWnt非分泌型でありながら、Wntが存在しなくなると自らWntを分泌するように変化するという現象がみられました。すなわち、膵がんは周囲の環境に適応して遺伝子発現プログラムを変化させながら悪性化していく可能性が示唆されました(図2)。


【図2】正常膵管オルガノイドにCRISPR/Cas9システムを用いてKRAS、CDKN2A、TP53、SMAD4の4つの変異を導入し、人工膵がん細胞を作製。この細胞はWnt存在下ではWntを分泌しないが、Wnt非存在下ではWntを自己分泌するように変化する。

2.研究の成果と意義・今後の展開

本研究では、膵がん患者の生存期間が異なる及び膵がんの悪性化の仕組みには、GATA6に制御された遺伝子発現プログラムの変化に伴うWnt、Rspondinという2つの細胞増殖物質の必要性が深く関わっていることを、多数例の膵がん培養細胞の遺伝子情報解析、増殖機能の解析、ならびに最新の遺伝子改変技術を用いた人工膵がんの作製を通して明らかにしました。

今後はGATA6によって、具体的にどのようにして膵がんの遺伝子発現プログラムが調節されているのかを解明することで、膵がんに対する新たな治療戦略を立てる上での突破口となることが期待されます。

3.特記事項

本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の次世代がん医療創生研究事業、JSPS科研費 JP26115007の支援によって行われました。

4.論文

英文タイトル:
Human Pancreatic Tumor Organoids Reveal Loss of Stem Cell Niche Factor Dependence during Disease Progression
タイトル和訳:
ヒト膵腫瘍オルガノイドによって明らかとなった膵がん悪性化に伴う幹細胞ニッチ物質非依存性の獲得
著者名:
清野隆史、川崎慎太郎、下川真理子、玉川空樹、利光孝太、藤井正幸、太田悠木、 股野麻未、南木康作、川崎健太、高橋シリラット、杉本真也、岩崎栄典、高木淳一、 糸井隆夫、北郷実、北川雄光、金井隆典、佐藤俊朗
掲載誌:
Cell Stem Cell

用語解説

(注1)遺伝子改変技術:
人為的に特定の遺伝子の機能を破壊したり、別の遺伝子に置き換えたりする技術を遺伝子改変技術と呼ぶ。本研究では、CRISPR/Cas9システムと呼ばれる最新の遺伝子改変技術が用いられた。CRISPR/Cas9システムは標的とした遺伝子配列に特異的に結合するRNAとその領域を切断する蛋白質から構成されており、簡便で効率よく細胞の遺伝子改変を行うことが可能である。
(注2)オルガノイド培養技術:
従来の細胞培養技術では、細胞は培養皿上に接着した状態で2次元培養されている。オルガノイドは、増殖の足場となるジェルの中で3次元構造として育てられた培養細胞を指し、必要な細胞増殖物質を培養液中に加えることで、正常およびがん幹細胞を長期間にわたって増やすことが可能である。本研究では、2つの細胞増殖物質、WntとRspondinに着目しているが、これらは同一のシグナル伝達経路に作用し、RspondinはWntシグナルを増幅する役割があると考えられている。
(注3)エピジェネティック:
遺伝子変異や染色体異常のようなDNAの塩基配列に変化を伴う遺伝現象とは対照的に、DNAやヒストンへのメチル化といった後天的な化学修飾によって遺伝子発現が制御される遺伝現象。

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掲載日 平成30年1月16日

最終更新日 平成30年1月16日