プレスリリース 主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応がそれぞれ異なる脳内表象を持つ―心と身体の解離―

令和元年10月29日プレスリリース

株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)

本研究成果のポイント

  • これまでの研究において、主観的な感情体験の代用として客観的な生体反応がよく使われてきました。しかし近年、この二つの間には解離があり、主観的な感情体験の代用としての客観的な生体反応の使用に疑問が投げかけられていました。
  • fMRI[1]と機械学習によるデコーディング技術[2]を用いた本研究は、主観と客観の相違を明らかとし、この相違を産む脳部位に踏み込んだ内容となっています。
  • 本研究により、客観的な生体反応の強さは扁桃体[3]等で予測可能である一方、主観的な恐怖体験の強さは前頭前野[4]で予測可能であることが判明しました。
  • この結果は、今後の研究や治療において、客観的な生体反応に加えて主観的な感情体験を指標とすることの重要性を示唆しており、精神疾患に対する最適な治療法の開発につながることが期待されます。
  • 本成果は、Molecular Psychiatry誌に掲載されます。

概要

株式会社国際電気通信基礎技術研究所(略称ATR)・脳情報通信総合研究所(所長・川人光男)、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(Hakwan Lau教授)などのグループは、デコーディング技術を用いて、恐怖刺激に対する主観的な感情体験と客観的な生体反応を司る脳領域がそれぞれ異なることを証明しました。

不安障害などの感情の障害の研究では、主観的な感情体験の代用として、皮膚発汗、瞳孔反応などの客観的な生体反応がよく使われます。しかし近年、主観的な感情体験と客観的な生体反応の間には解離があることが指摘されていました。本研究成果は、感情体験の代用としての生体反応の使用に疑問を投げかけ、それぞれ個別の尺度として扱うことの重要性を明らかとしました。

具体的には、今回、ATRのVincent Taschereau-Dumouchel研究員等は、機能的磁気共鳴画像(functional Magnetic Resonance Imaging, fMRI)から脳情報を解読する機械学習の技術:デコーディング技術を用いて、主観的な恐怖体験の強さと客観的な恐怖反応の強さを予測可能な脳領域を探索しました。その結果、客観的な恐怖反応の強さは扁桃体等で予測可能である一方、主観的な恐怖体験の強さは前頭前野で予測可能であることが判明しました。

この結果は、今後の研究や治療において、客観的な生体反応に加えて主観的な感情体験を指標とすることの重要性を示唆しており、精神疾患に対する最適な治療法の開発につながることが期待されます。

背景

今回の研究において、国際共同研究チームは、主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応を生み出す脳のメカニズムがそれぞれ異なるということを示しました。従来の心理実験では、主観的な精神状態の代用指標として皮膚発汗などの客観的な生体反応を用いることが一般的でした。しかし、長年使われてきた客観的な生体反応は実は主観的な精神状態と対応していないのではないかという批判が最近になって出てきました。例えば、痛みの感覚はなんら客観的な生体反応を伴わないことが往々にしてあるということが知られています。このため痛みの評価については、主観的な痛みの強さがゴールドスタンダートの尺度として用いられてきました。

近年、同様の議論が不安や恐怖についてもなされています。主観的な不安や恐怖では客観的な生体指標が信頼のできる指標として受け入れられており、様々な研究で用いられています。特に、不安障害では生体反応と関連する脳回路が治療薬の主な標的とされています。しかし、複数の研究者が、皮膚発汗や扁桃体の活動といった客観的な生体反応は自動的な反応であり、必ずしも主観的な意識的体験を伴わないことを指摘しています。つまり、客観的な生体反応と主観的な感情体験には解離が見られるというのです。一方で、例えば扁桃体の活動は主観的な感情体験と強く相関するということも報告されており、主観的な感情体験と客観的な生体反応の解離に疑問を呈する声もありました。

本研究は、この疑問をfMRIにもとづく脳情報解読(デコーディング)の観点から明らかとするべく計画されました。

研究内容

この研究では、主観的な感情体験の脳内表象が客観的な生体反応の脳内表象と区別できるかどうかを確認しました。実験の概要を図1に示します。実験では、被験者が様々な動物にどの程度主観的な恐怖を感じるかについて質問を行います(図1A)。続いて、被験者が恐怖の対象となる写真を見ている時の脳活動と恐怖反応を測定します(図1A)。具体的には、MRIの中で被験者には、恐怖を感じる対象となることが多い動物の写真を中心に3600もの画像を見せて、客観的な生体反応の指標として、身体的な恐怖反応である皮膚発汗を測りました。次いで、デコーディング技術を用いて、動物の写真を実際に見ている時の脳活動から、これらの指標を推測する判別器をそれぞれ作成しました(図1B)。最後に、作成した判別器による性能を、新しい被験者集団から取得したデータで確認しました(図1C)。


図1 実験の概要
実験は、A)主観的及び客観的な恐怖の定量化、B)定量化した恐怖の強さを予測する判別器の作成、C)判別器の性能評価、の3つの要素から成ります。

従来の一般的な研究で用いられる「恐怖条件刺激[5]」と異なり、本研究では生活の中で広くみられる恐怖の対象となる写真を用いました。これにより従来の研究と比較して自然な動物恐怖症などの患者でみられるものと近い脳活動をとらえることが可能となります。

まず、主観的な恐怖の感情と客観的な恐怖反応の関係を解析しました(①主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応の相関)。次いで、機械学習の技術を用いて、写真を見ている時の脳活動のみから主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応をそれぞれ推測する判別器を作成しました。これを、全脳及び、脳領域単位で実施しました。全脳で作成した判別器を用い、「主観と客観のうち異なる恐怖の程度を推測できるか」ということを検討しました(②判別器の交差検証)。つまり、主観的な恐怖体験の判別器で客観的な恐怖反応を推測できるか、また逆のことが可能であるか、ということを検証しました。脳領域単位で作成した判別器からは、各脳領域で作成した主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応についての判別器の性能の差を比較しました(③異なる性能の判別器を生み出す脳領域)。

①主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応の相関

図2に、主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応の関係を示します。この二つは一定の相関(片方が強いともう片方も強いという関係)はあるものの、相関関係から外れた動物(例えば兎、鳥、蜘蛛)が存在するということが明らかとなりました。


図2 主観的な恐怖の強さと客観的な恐怖反応の関係性
同じ動物に対する主観的な恐怖の強さと客観的な恐怖反応の強さは概ね相関(片方が強いともう片方も強いという関係)していますが、相関関係から外れた動物も存在することがわかります。

②判別器の交差検証

図3に、主観的な恐怖体験の判別器で客観的な恐怖反応を推測できるか(左)、客観的な恐怖反応の判別器で主観的な恐怖体験を推測できるか(右)についての結果を示します。推測の成績に関する判定は、判別器の作成に使用した被験者集団とは異なる集団を対象に行いました。客観的な恐怖反応の判別器からは、主観的・客観的どちらの恐怖も推測が可能でしたが、主観的な恐怖体験の判別器では客観的な恐怖反応を推測できないことが確認されました。


図3 主観的と客観的な恐怖の判別器の交差検証
左図、中央図の黄色の棒グラフは主観的な恐怖体験の判別性能を、青い色の棒グラフは客観的な恐怖体験の判別性能を、示しています。判別器の性能は棒グラフが高いほど良く、最高値は1.0となります。右図は二つの恐怖について、実測値と判別器による予測値の関係性を評価したものです。

③異なる性能の判別器を生み出す脳領域

最後に、脳の各部位のうち、作成した主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応の判別器の性能が顕著に異なる領域を示します。図4の黒線で囲まれた部位が、統計的に有意に二つの性能が異なった箇所です。そのうち、赤色の領域は主観的な恐怖体験、青色の領域は客観的な恐怖反応の判別がより性能が高かった領域です。青色の客観的な恐怖反応の領域に含まれるのは、扁桃体等の従来の研究で恐怖反応の処理に重要であるとされる脳領域です。一方で、赤色の主観的な恐怖体験の領域には前頭前野といわれる脳領域が含まれることが明らかとなりました。


図4 主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応を推測可能な脳領域
脳の各部位で、主観的な恐怖体験と客観的な恐怖反応をそれぞれ予測する判別器を作成し、その性能を比較しています。黒線で囲まれた部位が、統計的に有意に二つの性能が異なった箇所です。そのうち、赤色の領域は主観的な恐怖体験、青色の領域は客観的な恐怖反応の判別がより性能が高かった領域です。

本研究の意義と今後の展望

科学的意義

不安障害などの感情の障害の研究では、主観的な感情体験の代用として客観的な生体反応がよく使われます。しかし近年、主観的な感情体験と客観的な生体反応の間には解離があることが指摘されていました。本研究成果は、主観的な感情体験の代用としての客観的な生体反応の使用に疑問を投げかけ、それぞれ異なる尺度として扱うことの重要性を明らかとしました。

今後の展望

精神疾患、特に不安障害やPTSDなどでは、主観的な感情体験や客観的な生体反応と関連する脳領域が治療の標的とされることがあります。従来はこの二つの反応を同一のものとみなして治療法の開発などが行われてきましたが、この二つを別のものとして扱うことにより、従来にはない新たな切り口での治療法の開発が期待されます。

論文著者名とタイトル

発表雑誌
Molecular Psychiatry 誌(英国時間・2019年10月29日1:00amオンライン公開)
著者名
Vincent Taschereau-Dumouchel, Mitsuo Kawato, and Hakwan Lau
論文タイトル
Multivoxel pattern analysis reveals dissociations between subjective fear and its physiological correlates.
doi
https://doi.org/10.1038/s41380-019-0520-3

研究グループ

1)株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)
Vincent Taschereau-Dumouchel1,2, Mitsuo Kawato1,3, Hakwan Lau1,2,4,5,

兼任先
2)カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) 心理学科
3)理化学研究所革新統合知能研究センター
4)カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) 脳研究所
5)香港大学

研究支援

本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)・「戦略的国際脳科学研究推進プログラム」の『脳科学とAI技術に基づく精神神経疾患の診断と治療技術開発とその応用』課題 JP18dm0307008(代表 川人光男)の研究として行われたものです。

一部は、内閣府 総合科学技術・イノベーション会議が主導する革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「脳情報の可視化と制御による活力溢れる生活の実現」、脳科学研究戦略推進プログラム BMI課題の『DecNefを応用した精神疾患の診断・治療システムの開発と臨床応用拠点の構築』課題JP17dm0107044(代表 川人光男)の助成を受けています。

用語説明

[1]機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Imaging, fMRI)
酸化型と還元型ヘモグロビンの磁化率の違いを利用して、粗く言えば、脳全体の血流量の変化を画像化する技術です。酸化型と還元型ヘモグロビンの量の違いは脳活動の度合いを反映しているため、この画像を解析することで、各脳部位の活動度合いを推定することができます。
[2]デコーディング技術
fMRI([1]を参照)と人工知能技術を組み合わせ、特定の脳領域からどのような情報を読み出すことができるかを明らかとする手法です。脳情報解読、脳情報抽出、多ボクセルパターン解析とも呼ばれます。具体的には、特定の脳領域で、被験者が特定の課題(感覚情報処理、運動、注意などの認知課題)を処理しているときに数ミリサイズの立方体:ボクセルの数千個の空間的なパターン:脳活動パターンを計測します。この脳活動パターンから、その時与えられている刺激の特性や、運動や認知の特徴を機械学習の方法で予測します。この技術を用いると、例えば、脳活動のみからMRIの中で被験者がどのような画像を見ているかを推測することができます。
[3]扁桃体
恐怖を司る脳領域として代表的な脳領域の一つです。本能的な行動や欲求に重要と考えられています。
[4]前頭前野
衝動を抑える脳領域として代表的な脳領域の一つです。本能的な欲求の抑制や、理性的な行動計画に重要と考えられています。
[5]恐怖条件刺激
元々は恐怖を惹起しない感情的に中性の刺激であったものを、痛み刺激などの不快な刺激と同時に提示することで主観的、あるいは客観的な恐怖を惹起するようになった刺激です。中性の刺激を不快な刺激と同時に提示して関連付ける手順は「恐怖条件付け」と呼ばれ、広く研究で用いられています。

お問い合わせ先

研究内容に関すること

(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)経営統括部 企画・広報チーム
〒619-0288 京都府相楽郡精華町光台2-2-2
TEL:0774-95-1176 FAX:0774-95-1178
E-mail:pr“AT”atr.jp
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AMEDの事業に関すること

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最終更新日 令和元年10月29日