プレスリリース 痛みを感じた時の脳内の神経回路変化をホログラフィック顕微鏡によって解明

プレスリリース

東海国立大学機構名古屋大学
神戸大学
科学技術振興機構
日本医療研究開発機構

東海国立大学機構名古屋大学大学院医学研究科分子細胞学分野の和氣弘明教授(神戸大学先端融合研究環兼務)・加藤大輔助教、神戸大学大学院医学研究科麻酔科学分野の岡田卓也特定助教、溝渕知司教授らのグループは、2光子顕微鏡※1を用いた生体カルシウムイメージング法※2およびホログラフィック光刺激※3により、痛み強度や部位の認知に重要な役割を担う大脳皮質第一次体性感覚野において、痛みが形成される際に各神経細胞間の機能的結合が強化されることを世界で初めて解明しました。本研究は、神戸大学先端融合研究環の的場修教授、神戸大学大学院システム情報学研究科の滝口哲也教授との共同研究およびニューサウスウェールズ大学のAndrew J Moorhouse博士との国際共同研究として行われました。

痛みは末梢組織の侵害による炎症や末梢神経の損傷によって生じ、その発生や維持に中枢神経系の異常が関与していることが報告されています。大脳皮質において第一次体性感覚野は、痛みの強度や部位の認知に重要な役割を担っており、痛みの急性期に活動が亢進することが機能的核磁気共鳴法や2光子顕微鏡を用いた研究で示されています。しかし、同一の各神経細胞間の機能的結合や活動の相関性が経時的にどのように変化し、これらの変化が痛みの形成や維持にどのような影響をもたらすかは明らかではありませんでした。

今回の研究では、炎症性疼痛モデルマウスを用いた実験により、痛みの急性期に大脳皮質体性感覚野の神経細胞集団の自発的な活動上昇および各細胞間の活動相関性の上昇、さらにホログラフィック光刺激によって1つの神経細胞を刺激した際の周囲の神経細胞の応答が増加することが分かりました。そして、痛みの改善に伴ってこれらの変化が元の状態まで低下することが明らかになりました。また、そのメカニズムにはN型カルシウムイオンチャネルの発現量が関与しており、このチャネル阻害薬投与が、痛みの感じやすさの緩和に有効であることも明らかになりました。この発見は、痛みが慢性化した慢性疼痛患者の治療法に繋がる可能性が期待されます。

この研究成果は、2021年3月19日(米国東部時間)、Science Advancesに掲載されます。

ポイント

  • 痛みの急性期の大脳皮質第一次体性感覚野において、神経細胞の自発的な活動と細胞間の活動相関性が増加すること、ホログラフィック光刺激によって1つの神経細胞を刺激した際の周囲の神経細胞の応答が増加し、痛みの改善に伴ってそれらが元の状態まで低下することが明らかになりました。
  • 痛みの急性期の大脳皮質第一次体性感覚野ではN型カルシウムイオンチャネルの発現量が増加しており、その阻害薬の局所投与(脳室内および体性感覚野の脳表)が痛みの緩和に有効であることも明らかになりました。
  • 今回の発見は、痛みが慢性化した慢性疼痛患者の治療法開発に繋がる可能性があります。

背景

痛みは末梢組織の侵害による炎症や末梢神経の損傷によって生じ、私たちの誰もが経験のある不快な感覚ですが、その詳細なメカニズムの解明には至っていません。これまでも脊髄における神経細胞活動やグリア細胞に着目した重要な痛みの研究が進められてきましたが、近年の画像技術の発達に伴い、脳領域の痛みの研究は増加傾向にあります。大脳皮質第一次体性感覚野(S1)は痛みの識別に関与する重要な脳領域であり、従来機能的核磁気共鳴法(fMRI)や2光子顕微鏡を用いた研究により、痛みの急性期にS1の神経細胞集団の活動が亢進することが示される中、痛みの発生・維持におけるS1の詳細な神経回路基盤は明らかではありませんでした。

研究成果

生きたまま脳の神経細胞の活動を調べることができる2光子顕微鏡による生体カルシウムイメージング法を用いた実験により、炎症性疼痛モデルマウスの痛みの急性期では、大脳皮質第一次体性感覚野(S1)にある神経細胞の自発的活動が上昇し、各細胞間の活動相関性が上昇していること、また痛みの緩和に伴ってそれらが元の状態まで低下すること、さらに各神経細胞間の活動相関性が高いほど痛みを感じる閾値※4が低いことを発見しました(図1)。

図1:通常、大脳皮質第一次体性感覚野の神経細胞はばらばらに活動するが、痛みの急性期には同期的な神経細胞活動が増加する。

これらの結果を検証するために2光子顕微鏡による生体カルシウムイメージング法とホログラフィック光刺激を組み合わせた実験系を用いて、モデルマウスのS1の1つの神経細胞を刺激した際の周囲の神経細胞の応答が、痛みの急性期に上昇し、痛みの緩和に伴って応答が低下することを発見しました。以上から、痛みの急性期においてはS1の各神経細胞の機能的結合が強化された結果、各神経細胞の活動相関性が上昇し、痛みの緩和に伴ってそれらが低下したことが示唆されます。

このS1の自発的な神経細胞の活動上昇と痛みを感じる閾値の関連を検証するために、ヒトムスカリン受容体を改変した変異型ヒトムスカリン受容体(hM3Gq)というクロザピン-N-オキシド(CNO)で人為的に神経細胞活動を上げることができるタンパク質をマウスのS1に発現させて、CNOを投与する前後で神経活動や痛みを感じる閾値を比較しました(化学遺伝学的手法※5)。その結果、S1の神経活動を人為的に活性化させたマウスでは、各神経細胞活動の活動相関性が上昇し、さらに痛みを感じる最小の刺激レベルが低下することが分かりました。

これらの結果に関与する分子メカニズムの探索としてフローサイトメトリー法※6を用いてモデルマウスの痛みの急性期におけるS1神経細胞の各イオンチャネルの発現を痛みのない野生型マウスと比較しました。その結果、N型カルシウムイオンチャネルの発現量がモデルマウスでは増加しており、その阻害薬を脳室内投与やS1の脳表に塗布することで痛みを感じる閾値が緩和することが分かりました。

図2:通常、大脳皮質第一次体性感覚野の神経細胞の活動は機能的結合が弱いが、痛みの急性期には機能的結合が強化される。

今後の展開

大脳皮質第一次体性感覚野(S1)は痛みの識別に関与する重要な脳領域であり、S1における神経細胞集団が痛みの急性期に活動亢進することがこれまで示されています。今回の研究で、痛みの急性期に活動亢進するだけではなく、各神経細胞間の機能的結合が強化され、活動相関性が高まることが示されました。

今後、ホログラフィック光刺激を応用し、痛みに大きく関与するS1の神経細胞の同定や特徴抽出を行い、さらに同定された痛みに関与する多細胞をホログラフィック光刺激することで、神経細胞活動と痛みを感じる閾値との因果関係を検証する予定です。さらに、神経細胞間の機能的結合の増加を防ぐことが、痛みが慢性化した慢性疼痛患者に対する治療法の選択肢となる可能性があるため、その方法の探求を計画しています。

謝辞

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「光の特性を活用した生命機能の時空間制御技術の開発と応用」研究領域における研究課題「ホログラム光刺激による神経回路再編の人為的創出」(研究代表者:和氣弘明)、日本医療研究開発機構(AMED)創薬基盤推進研究事業「神経回路基盤の網羅的解析による神経・精神疾患に対する創薬技術向上を目指した評価系の構築」、日本学術振興会のサポートを受けて行われました。

用語説明

※1 2光子顕微鏡
生きたままの組織内の細胞を観察することができる顕微鏡。赤外線レーザーを使用するため組織透過性が高く、脳の深部まで観察可能である。
※2 生体カルシウムイメージング法
2光子顕微鏡を用いて、神経細胞内のカルシウムイオン濃度を光の強度として計測することで、神経細胞の活動を観察する方法。
※3 ホログラフィック光刺激
物体からの光波の情報を記録し、計算機で3次元情報を再生できるホログラフィー技術を用いて、特定の細胞だけを選択して光刺激することが可能である。
※4 痛みの閾値
痛みが起こるか起こらないかの境界にある壁のようなもので、この壁を越えると痛みが出現する。また、この痛みの境界にある壁の高さが低くなる(閾値が下がる)と容易に壁を越えることができるため、痛みが起こりやすい状態となる。
※5 化学遺伝学的手法
ヒトムスカリン受容体を改変した変異型ヒトムスカリン受容体を目的となる細胞に発現させることで、クロザピン-N-オキシド(CNO)により人為的に細胞活動の興奮および抑制を制御する手法。
※6 フローサイトメトリー法
微細な粒子を流体中に分散させ、その流体を細く流して、個々の粒子を光学的に分析する測定手法。

発表雑誌

雑誌名
Science Advances(2021年3月19日付 米国東部時間)
論文タイトル
Pain induces stable, active microcircuits in the somatosensory cortex that provide a new therapeutic target
著者
Takuya Okada1,2, Daisuke Kato3, Yuki Nomura2, Norihiko Obata2, Xiangyu Quan4, Akihito Morinaga1,3, Hajime Yano5, Zhongtian Guo1,3, Yuki Aoyama1,3, Yoshihisa Tachibana1, Andrew J Moorhouse6, Osamu Matoba4, Tetsuya Takiguchi5, Satoshi Mizobuchi2 and Hiroaki Wake1,3,7*
所属
1 Division of System Neuroscience, Kobe University Graduate School of Medicine, Kobe, Japan.
2 Division of Anesthesiology, Kobe University Graduate School of Medicine, Kobe, Japan.
3 Department of Anatomy and Molecular Cell Biology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, Japan.
4 Kobe University Graduate School of System Informatics, Department of System Science, Kobe, Japan.
5 Kobe University Graduate School of System Informatics, Department of Information Science, Kobe, Japan.
6 School of Medical Sciences, UNSW Sydney, Australia.
7 Core Research for Evolutional Science and Technology, Japan Science and Technology Agency, Saitama, Japan.

お問い合わせ先

研究について

東海国立大学機構名古屋大学大学院医学系研究科 分子細胞学分野
教授 和氣弘明(わけひろあき)・助教 加藤大輔(かとうだいすけ)
TEL:052-744-2000 FAX:052-744-2011
E-mail:hirowake“AT”med.nagoya-u.ac.jp

神戸大学大学院医学研究科 麻酔科学分野
教授 溝渕知司(みぞぶちさとし)・特定助教 岡田卓也(おかだたくや)
TEL:078-382-6172 FAX:078-382-6189
E-mail:takuya25“AT”med.kobe-u.ac.jp

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科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
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広報担当

東海国立大学機構名古屋大学医学部・医学系研究科総務課総務係
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神戸大学総務部広報課
TEL:078-803-6678
E-mail:ppr-kouhoushitsu“AT”office.kobe-u.ac.jp

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TEL:03-5214-8404 FAX:03-5214-8432
E-mail:jstkoho“AT”jst.go.jp

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日本医療研究開発機構(AMED)
創薬事業部医薬品研究開発課
TEL:03-6870-2219
E-mail:souyakukiban“AT”amed.go.jp

※E-mailは上記アドレス“AT”の部分を@に変えてください。

掲載日 令和3年3月22日

最終更新日 令和3年3月22日