プレスリリース 多様な「涙の脂質」がドライアイを防ぐ―ドライアイ治療薬の開発を目指して―
プレスリリース
北海道大学
日本医療研究開発機構
ポイント
- 涙液に含まれる脂質の多様性がドライアイ防止に重要であることを解明。
- 涙液の脂質多様性を生み出す二つの酵素を同定。
- 「涙の脂質」を改善するドライアイ治療薬の開発に期待。
概要
北海道大学大学院薬学研究院の木原章雄教授らの研究グループは、涙液に含まれる多様な脂質がドライアイ*1防止に重要であることを明らかにしました。
涙液には脂質が含まれており、表面に脂質の層(=油層)を形成して水分蒸発などを防いでいます。油層には多種多様な脂質が存在しますが、それらがどのように産生されるのか、どのような役割をもつのかは不明でした。研究グループは、Awat*21とAwat2という二つの酵素*3のそれぞれが異なる脂質群を産生することで涙液における脂質多様性を生み出していることを明らかにしました。また、Awat1とAwat2のそれぞれ、あるいはその両方を持たないマウスが示したドライアイ症状から、これらが生み出す脂質多様性が涙液の安定性に重要であることを見出しました。
ドライアイの主要な原因は油層の異常ですが、これを改善する根本治療薬は存在しません。本研究成果によって、涙液油層をターゲットにした新たな治療薬の開発が進むことが期待されます。
また、本研究成果は2021年4月26日(月)公開のiScience誌に先行オンライン掲載され、近日中に出版される予定です。
背景
涙液は涙腺から分泌される水溶液(=液層)だけと思われがちですが、実は表面に脂質の層(=油層)が存在します。涙液油層には水の蒸発の防止、涙液へ適度な粘性や弾性の付与、表面張力*4の低下、角膜表面の潤滑化などの働きがあり、ドライアイの防止に重要な役割を果たしています。油層を形成する脂質はまぶたの裏側にあるマイボーム腺*5から分泌されるため、総称してマイバム脂質とよばれます。マイバム脂質には、体の他の部位に存在する脂質とは異なった種類の特殊な脂質が多く含まれます。近年、パソコンやスマートフォンの普及、コンタクトレンズ使用者の増加などの生活環境の変化に伴い、ドライアイの患者さんが増加しています。ドライアイの約8割はマイボーム腺の機能異常、すなわち油層の異常であることが知られていますが、これを改善する治療薬はありません。そもそも油層については、個々の脂質の産生機構から役割に至るまでの基礎的な知見に極めて乏しく、有効な治療ターゲットが見出されていないのが現状です。
マイバム脂質には様々な脂質が含まれ(本研究の概要を参照)、共通してエステル結合*6をもつという特徴があります。このエステル結合は酵素によって生体内で作られますが、コレステリルエステル以外についてはマイバム脂質中のエステル結合をつくる酵素やドライアイ防止における役割が不明でした。そこで研究グループは、Awat1とAwat2という酵素のどちらかあるいは両方が触媒としてこれらのエステル結合形成を促進することで多様なマイバム脂質を作り出すと予想し、それらをなくしたマウスを作製して、解析を行いました。
研究手法
研究グループはAwat1とAwat2のそれぞれ、あるいは両方を持たないマウスを作製するため、人工的にそれらの酵素をコードする遺伝子(Awat1,Awat2;遺伝子はイタリック表記)を欠損させたマウスを作製しました。ドライアイ症状は、マウスの眼の外観及びマイボーム腺の観察、マイバム脂質の融点測定、涙液安定性試験*7、眼表面からの水分蒸散量測定によって評価しました。マイバム脂質は質量分析法*8(液体クロマトグラフィー連結型タンデム質量分析法)によって定量しました。
研究成果
Awat2欠損マウス及びAwat1 Awat2二重欠損マウスは目を閉じ気味にしており、Awat1欠損マウスもやや目を閉じ気味にしていました(図1A)。正常なマウス(野生型*9マウス)のマイボーム腺では開口部に詰まりが観察されないのに対し、Awat2欠損マウス及び二重欠損マウスでは白い歯磨き状、Awat1欠損マウスでは半液状の詰まりが観察されました(図1B)。マイバム脂質の融ける温度(融点)は、野生型マウスで34℃であったのに対し、Awat2欠損マウスで62℃、二重欠損マウスで57℃と大幅に上昇しており、Awat1欠損マウスでも39℃と上昇していました(図1C)。眼球の表面(角膜)の温度が32℃であるため、野生型マウスではマイバム脂質が液体として存在しているのに対し、これら欠損マウスでは融点の上昇によって融けにくくなる、すなわち固体/半液体として存在していることがわかりました。また、Awat2欠損マウス及び二重欠損マウスのマイボーム腺は全体的に肥大化していました(図1B)。これらのマイボーム腺ではマイバム脂質の固化によってマイバム脂質の分泌が著しく阻害されて腺内部に蓄積し、肥大化をもたらしたと考えられます。涙液の安定性については、Awat1欠損マウス及びAwat2欠損マウスどちらも低下していました(図1D)。一方、眼表面からの水分蒸散量は、Awat2欠損マウス及び二重欠損マウスで増加していたものの、Awat1欠損マウスでは増加していませんでした(図1E)。これらの結果より、Awat1欠損マウスが弱いドライアイ、Awat2欠損マウス及び二重欠損マウスが激しいドライアイを発症していることが明らかになりました。
次に、Awat1とAwat2がなくなったことがどのマイバム脂質の量に影響したのかを調べるため、質量分析法によって様々なマイバム脂質を測定しました。その結果、ワックスエステルとタイプ2オメガ型ワックスジエステルについては、Awat2欠損マウス及び二重欠損マウスでほぼ消失していました(図2A、B)。OAHFA*10については、Awat1欠損マウス及び二重欠損マウスで3割程度にまで減少していました(図2C)。タイプ1オメガ型ワックスジエステルについてはAwat1欠損マウスとAwat2欠損マウスの両方で減少し、二重欠損マウスでほぼ消失していました(図2D)。これらの結果より、Awat1とAwat2がそれぞれ異なるマイバム脂質、つまりAwat1が主にOAHFAとタイプ1オメガ型ワックスジエステル、Awat2がワックスエステル、タイプ1オメガ型及びタイプ2オメガ型ワックスジエステルの産生に関わることが明らかとなりました。
以上のことから、Awat1とAwat2が作りだす多様なマイバム脂質が涙液を安定化させてドライアイを防止していることがわかりました。その中でもAwat2が作り出すワックスエステルはマイバム脂質中で量が多く、ドライアイ防止に特に重要でした。ワックスエステルのマイバム脂質中での役割として、ワックスエステルは融点が低いため、マイバム脂質の固化を防ぐことが考えられます。
今後への期待
本研究では正常な涙液油層形成の機構とドライアイ防止における重要性を明らかにしました。ドライアイの主要な原因は油層の異常ですが、これを改善する根本治療薬は開発されていません。本研究成果によって、新たな治療薬の開発が進むことが期待されます。
謝辞
本研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)「画期的医薬品等の創出をめざす脂質の生理活性と機能の解明」研究開発領域(研究開発総括:横山信治)における研究開発課題「脂質による体表面バリア形成の分子機構の解明」(研究開発代表者:木原章雄)の一環として行われました。
論文情報
- 論文名
- Diverse meibum lipids produced by Awat1 and Awat2 are important for stabilizing tear film and protecting the ocular surface(Awat1とAwat2が生み出す多様なマイバム脂質は涙液安定化及び眼表面の保護に重要である)
- 著者名
- 澤井恵1、渡邊圭祐2、田中花奈2、木下航1、大塚賢人1、宮本政宗1、佐々貴之1、木原章雄1(1北海道大学大学院薬学研究院;2ライオン株式会社研究開発本部薬品研究所)
- 雑誌名
- iScience(ライフサイエンス領域の専門誌)
- DOI
- 10.1016/j.isci.2021.102478
- 公表日
- 2021年4月26日(月)(先行オンライン公開)
用語解説
- *1 ドライアイ
- 様々な要因によって涙液層の安定性が低下する疾患であり、眼不快感や視機能異常を生じ、眼表面の障害を伴うことがある。
- *2 Awat
- 酵素の固有名詞。この場合、この酵素がアシル補酵素Aのカルボキシ基をアルコール(水酸基を持つ分子)に転移してワックスを作り出す反応を触媒するので、アシル補酵素Aワックスアルコールアシル基転移酵素(acyl-CoA wax alcohol acyltransferase)という酵素名をもち、その略からこの固有名詞が付けられた。この反応を触媒する酵素が二つあり、Awat1とAwat2という別の名前で区別している。これらは、別々の遺伝子(Awat1とAwat2)にコードされている。
- *3 酵素
- 化学反応を触媒するタンパク質。生体分子は化学反応によって産生され、反応ごとに触媒する酵素が異なる。酵素は設計図である遺伝子にコードされている。そのため、遺伝子変異が生じると、正常な酵素が失われ、その酵素が触媒する反応によって作られる生体分子が作られなくなる。
- *4 表面張力
- 表面をできるだけ小さくしようとする力のこと。この力が大きいと液体は丸くなる。涙液油層は涙液の表面張力を低下させ、涙液が滴状になることを防ぎ、薄く広がらせる。
- *5 マイボーム腺
- まぶたの裏側にある皮脂腺の一種。涙液油層の脂質を作り、分泌する。ドライアイ患者ではしばしば脂質が分泌される開口部(出口)に詰まりが生じる。
- *6 エステル結合
- カルボキシ基(–COOH)と水酸基(–OH)間の脱水で生じる結合(–COO–)のこと。
- *7 涙液安定性試験
- 蛍光色素を点眼し、眼全体に広がった蛍光色素が一様でなくなるまでの時間(涙液層破壊時間)を測定する。涙液が不安定になると時間が短くなる。涙液の不安定化はドライアイ診断の一つの指標。
- *8 質量分析法
- 質量(正確には質量と電荷の比)の違いに基づいて分子(今回は脂質)を分離・定量する方法。本研究では、液体クロマトグラフィーという別の方法で分子の疎水性度(水に馴染まない性質)の違いに基づいて分離後、さらに質量分析法によって分離するという二つの方法を組み合わせることで分離の精度を高めている。
- *9 野生型
- 遺伝学の用語で、遺伝子が正常である(変異がない)こと。
- *10 OAHFA
- (O-アシル)オメガ水酸化脂肪酸の略称。末端に極性の高いカルボキシ基(–COOH)を持つ一方、それ以外の部分は極性が低いため、油と水の両方になじむ性質(両親媒性)を示す。
お問い合わせ先
北海道大学大学院薬学研究院 教授 木原章雄(きはらあきお)
TEL:011-706-3754 FAX:011-706-4900
E-mail:kihara“AT”pharm.hokudai.ac.jp
北海道大学 大学院薬学研究院 創薬化学部門生体機能科学分野 生化学研究室
配信元
北海道大学総務企画部広報課(〒060-0808 札幌市北区北8条西5丁目)
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E-mail:jp-press“AT”general.hokudai.ac.jp
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TEL:03-6870-2224
E-mail:kenkyuk-ask“AT”amed.go.jp
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関連リンク
掲載日 令和3年5月14日
最終更新日 令和3年5月14日