プレスリリース ストレスによって不安が生じる新しい神経メカニズムを発見―脳とココロのしくみの解明に期待―
プレスリリース
大阪大学
日本医療研究開発機構
研究成果のポイント
- マウス脳の活動を網羅的に解析し、ストレスによって生じる不安を制御する少数の細胞集団を発見した。
- 「前障※1」という微小な脳領域の一部の細胞集団を活性化すると不安様行動が生じ、逆に抑制すると不安やうつ様行動を改善できることが分かった。
- ストレスが関連する精神疾患(不安障害やうつ病等)の発症機序解明や治療法開発につながることが期待される。
概要
大阪大学大学院薬学研究科の大学院生 丹生 光咲さん、笠井 淳司准教授、橋本 均教授らの研究グループは、精神的なストレスを受けた直後のマウスの脳全体の神経細胞の活性化を機械学習によって判別分析※2し、「前障」という微小な脳領域の活性化が最も特徴的であることを見出しました。さらに、特定の細胞集団の神経活動を操作する技術を用いて、前障にある特定の細胞集団がストレス後の不安様行動やうつ様行動の発現を制御することを世界で初めて明らかにしました。
前障は、大脳皮質の深部にある細長く薄いシート状の脳領域です。これまで、前障は意識の調節や脳波の制御などに関わることが知られていましたが、ストレスによる不安などの調節における役割については不明でした。
今回、笠井准教授らの研究グループは、活性化した神経細胞が蛍光蛋白質で標識される最初期遺伝子レポーターマウス※3と脳の全ての細胞を観察できるFASTシステム※4を組み合わせて、ストレス直後の脳を詳細に観察し、神経解剖学・化学遺伝学※5・光遺伝学※6の技術を駆使して、前障にある一部の細胞集団の活性化が不安様行動を惹起すること、逆にその抑制が不安やうつ様行動を防ぐことを発見しました(図1)。これらの成果はストレスが関連する精神疾患の発症メカニズムの解明や治療法開発に貢献することが期待されます。
本研究成果は、米国科学誌「Science Advances」に、2022年3月19日(土)午前3時(日本時間)に公開されました。
研究の背景
ストレスに対する脳の反応は、安全や生存のための適切な行動選択にとても重要です。しかし、過度なストレスや繰り返されるストレスは、不安障害やうつ病などこころの病気を引き起こす場合があります。特定の神経回路や脳領域に絞った研究により、例えば扁桃体などの脳領域が負の感情を生み出す中心的な役割を担うと考えられています。一方、ヒトの脳画像研究などから、ストレスは脳全体の様々な領域(扁桃体を含む)の神経活動を変化させることが知られていましたが、脳には多数の細胞(マウス脳は約1億個、ヒト脳では約1,000億個)があり、どの神経細胞の活動がストレス応答に重要なのかを理解することは困難でした。また、扁桃体の情報がどこに伝わり、感情などの変化を生み出すのかも分かっていませんでした。
これまでに笠井准教授、橋本教授らの研究グループは、脳を構成する全ての細胞を高速にイメージングする顕微鏡システム「FAST」を開発し、神経細胞の活性化の指標となる最初期遺伝子レポーターマウスと組み合わせることにより、脳にある全ての神経細胞の活性化を検出する方法を構築していました。この方法により、ストレス応答に重要な神経細胞を特定できると考えていました。
研究の内容
笠井らの研究グループでは、ストレス負荷した脳にある全ての神経細胞の活性化を機械学習によって解析し、ストレス応答には前障という脳領域の活性化がもっとも特徴的であることを見出しました。ストレスに応答して活性化するのは前障の一部の細胞だけであり、この細胞集団を化学遺伝学的や光遺伝学の技術を用いて活性化させると不安様行動が生じること、逆に抑制するとストレス後の不安様行動が抑制されることを見出しました。さらに前障は、扁桃体の一部(扁桃体基底外側核)にあるストレスに応答して活性化する神経細胞から神経投射を受けていることも明らかにしました。この扁桃体基底外側核―前障の神経回路だけを光遺伝学的に活性化することでも不安様行動が生じることを見出しました。これは、扁桃体から前障に伝わる情報が、不安などの負の情動に重要であることを示しています。さらに、ストレスを繰り返して受けるときに前障の神経活動を抑制すると、その後のうつ様行動の発現も抑えられることが明らかになりました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、ストレスによる不安応答を制御する細胞集団が明らかになりました。今回の研究成果から、この特定の細胞集団の活動を標的にする新たな治療法の開発に繋がることが期待されます。
特記事項
本研究成果は、2022年3月19日(土)午前3時(日本時間)に米国科学誌「Science Advances」(オンライン)に掲載されました。
- タイトル
- “Claustrum mediates bidirectional and reversible control of stress-induced anxiety responses”
- 著者
- “Misaki Niu†, Atsushi Kasai†,*, Masato Tanuma, Kaoru Seiriki, Hisato Igarashi, Takahiro Kuwaki, Kazuki Nagayasu, Keita Miyaji, Hiroki Ueno, Wataru Tanabe, Kei Seo, Rei Yokoyama, Jin Ohkubo, Yukio Ago, Misuzu Hayashida, Ken-ichi Inoue, Masahiko Takada, Shun Yamaguchi, Takanobu Nakazawa, Shuji Kaneko, Hiroyuki Okuno, Akihiro Yamanaka, and Hitoshi Hashimoto*”
†共筆頭著者, *責任著者
なお本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明(革新脳)」、日本学術振興会、文部科学省、科学技術振興機構(JST)、持田記念医学薬学振興財団、蓬庵社、および武田科学振興財団の支援を受けて行われました。
用語説明
- ※1 前障
- 大脳皮質の内側と線条体の外側に位置する脳領域。吻側尾側方向に長く、大脳皮質のほとんどの領域と双方向性の神経回路を形成する特徴的な構造をしている。
- ※2 判別分析
- データを分類する手法。多次元空間上にプロットされた異なる2つのグループのデータを、最も差が大きくなるように分割する解析方法。この分割に寄与する各要素の重みは、この分割における重要度を示す。
- ※3 最初期遺伝子レポーターマウス
- 最初期遺伝子は、神経細胞の活性化に伴い数分~数十分後に発現上昇する遺伝子の総称。c-fosやArcが神経細胞の活性化の分子マーカーとして広く利用されている。レポーターマウスは、これらの最初期遺伝子の発現と連動して蛍光蛋白質を発現する遺伝子改変マウス。今回の研究では、Arcの転写調節配列を用いて蛍光蛋白質dVenusが発現するArc-dVenusマウスを使用(岐阜大・山口瞬教授らが作製)した。
- ※4 FASTシステム
- 本研究グループが開発した、脳の細胞や神経線維レベルの構造を解像できる精細さで、脳を高速に観察するイメージング装置(FAST, block-face serial microscopy tomography)。
- ※5 化学遺伝学
- 設計した薬物にのみ結合する人工受容体(hM3Dq受容体など)を細胞に発現させ、人工的な作動薬を投与することにより、その細胞の機能を操作する技術。
- ※6 光遺伝学
- 特定の波長の光に応答する光感受性タンパク質(チャネルロドプシンなど)を細胞に強制的に発現させ、光により細胞機能を操作する技術。神経細胞や神経回路の機能を調べるときに汎用される手法。
SDGs目標
お問い合わせ先
本件に関する問い合わせ先
大阪大学 大学院薬学研究科 准教授 笠井 淳司(かさい あつし)
TEL:06-6879-8183 FAX:06-6879-8183
E-mail:kasai”AT”phs.osaka-u.ac.jp
研究者総覧 - 大阪大学
大阪大学 大学院薬学研究科 教授 橋本 均(はしもと ひとし)
TEL:06-6879-8180 FAX:06-6879-8184
E-mail:hasimoto”AT”phs.osaka-u.ac.jp
研究者総覧 - 大阪大学
AMED事業に関する問い合わせ先
日本医療研究開発機構(AMED)
疾患基礎研究事業部疾患基礎研究課
〒100-0004東京都千代田区大手町一丁目7番1号
TEL:03-6870-2286
E-mail:brain-m”AT”amed.go.jp
※E-mailは上記アドレス“AT”の部分を@に変えてください。
掲載日 令和4年3月22日
最終更新日 令和4年3月22日