プレスリリース 「上皮細胞らしさ」を決定するリン脂質を発見―がん転移や線維症で問題となる、上皮間葉転換の機構解明に期待―

プレスリリース

東京理科大学
日本医療研究開発機構

研究の要旨とポイント

  • 「上皮細胞らしさ」の維持や獲得に、細胞膜を構成するリン脂質の一つであるホスファチジルイノシトール(4,5)−二リン酸(Phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate: PIP2(*1)が深く関与することを発見しました。
  • 上皮細胞の細胞膜にはPIP2が多く含まれていました。上皮細胞からPIP2を減少させると隣接する細胞間での結合などの上皮細胞の特徴が失われました。一方で、非上皮細胞由来のがん細胞でPIP2を増加させると、上皮細胞の特徴を獲得しました。
  • 「上皮細胞らしさ」の喪失は、がんの浸潤・転移、組織の線維化において重要な役割を果たすことから、PIP2がこれらの疾患に対する新たな治療標的となることが期待されます。

概要

東京理科大学理工学部応用生物科学科の金丸佳織助教、中村由和准教授、同大学大学院理工学研究科応用生物科学専攻の古石陸人氏(修士課程2年)らの研究グループは、東京薬科大学生命科学部の深見希代子名誉教授らと共同で、「上皮細胞らしさ」の維持や獲得に、細胞膜を構成するリン脂質の一つであるPIP2が深く関与することを明らかにしました。

上皮細胞とは、体や体腔、臓器などの表面を覆う細胞です。上皮細胞は、隣接する細胞どうしが互いに強く結合することにより薄いシート状の細胞層を構成し、これにより、体や臓器を外部から隔て、病原菌の侵入や物質の漏出を防いでいます。上皮細胞は、規則的な多角形状で、タンパク質を介したさまざまな細胞間結合が発達していて、移動しにくいという特徴を持ちます。一方、非上皮細胞である間葉細胞(*2)の特徴としては、不規則な形状であること、細胞間の結合が弱いため移動しやすいことなどが挙げられます。

上皮細胞は、刺激に応じて上皮細胞の特徴を喪失し、間葉細胞化するという性質を有します。これは、上皮間葉転換(*3)と呼ばれ、私たちの体が正しく作られるために重要な役割を果たしています。しかし、上皮がん細胞でこれが起こると、がん細胞が自由に移動可能となり、周囲の組織にがんが浸潤したり、リンパ管や血管を通って遠く離れた部位にまでがん細胞が移動して転移を引き起こしたりします。また、各器官の間葉細胞が異常に活性化することによって生じる線維症(*4)においても、各器官を構成する上皮細胞が上皮間葉転換により間葉細胞へと変化することが重要な役割を果たすことが知られています。これらの疾患については未だ不明な点が多く、その機構解明は治療薬開発における重要な課題となっています。

今回、上皮細胞の細胞膜にはPIP2が多く含まれており、上皮細胞の細胞膜からPIP2を減少させると、上皮細胞の特徴が失われること、非上皮細胞由来のがん細胞の細胞膜にPIP2を増加させると、上皮細胞の特徴が獲得されることが確認されました。このことから、「上皮細胞らしさ」の決定には、細胞膜に含まれるPIP2が大きな役割を果たしていることがわかりました(図1)。

図1 上皮細胞の細胞膜からPIP2を減少させると、上皮細胞の特徴を喪失し、非上皮細胞由来のがん細胞の細胞膜にPIP2を増加させると、上皮細胞の特徴を獲得する。

本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業(PRIME)「画期的医薬品等の創出をめざす脂質の生理活性と機能の解明」研究開発領域(研究開発総括:横山信治)における研究開発課題「ポリホスホイノシタイド代謝異常による疾患発症機構の理解及び病態改善」(研究開発代表者:中村由和)の一部として実施したもので、東京薬科大学、東京医科歯科大学、秋田大学、北海道大学、神戸大学との共同研究で行われました。

本研究成果は、2022年5月9日に国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。

研究の背景

細胞膜は主にリン脂質から構成されます。細胞膜を構成するリン脂質にはさまざまな種類があり、リン脂質の一つであるPIP2は細胞内シグナル伝達や細胞内外の物質輸送などにおいて、重要な機能を果たすことが知られています。

上皮細胞を特徴づけるタンパク質についてはさまざまな研究が行われ、その機能が詳しく調べられていますが、細胞膜を構成する脂質についてはまだ十分に解明されていません。研究グループは、これまでの研究からPIP2が上皮細胞に多く含まれることを発見し、PIP2が「上皮細胞らしさ」の決定や維持に関わるのではないかとの着想を得て本研究を行いました。

研究結果の詳細

異なる種類の細胞が混在しているマウス皮膚組織において、免疫蛍光染色法(*5)によりPIP2を検出したところ、PIP2の蛍光は真皮(非上皮細胞)よりも表皮(上皮細胞)で強く見られました。そこで、さまざまな培養上皮細胞および非上皮細胞を用いてPIP2の検出を行いました。すると、上皮細胞には、非上皮細胞に比べてより多くのPIP2が存在していました。さらに、上皮間葉転換を誘導し、上皮細胞から「上皮細胞らしさ」を失わせた際には、細胞膜のPIP2量が減少しました。

次に、上皮細胞にPIP2を分解する酵素の遺伝子を導入し、PIP2量を減少させました。すると、「上皮細胞らしさ」を特徴づける形態が失われ、細胞間結合に関する各種結合タンパク質が細胞膜へ集積しなくなりました。また、間葉細胞に特徴的な遺伝子の発現が増加しました。

さらに、PIP2を産生する酵素の遺伝子を導入し、PIP2量を多く保つと、上皮間葉転換を誘導した際でも「上皮細胞らしさ」が維持されました。

これらの結果から、細胞膜のPIP2は、「上皮細胞らしさ」の維持に重要な役割を果たすリン脂質であることが強く示唆されました。

さらに、非上皮細胞由来のがん細胞である培養ヒト骨肉腫細胞に、PIP2産生酵素の遺伝子を導入し、PIP2量を増加させました。すると、この細胞は、上皮細胞様の形態に変化し、細胞間結合が発達しました。また、がんの浸潤・転移に深く関わる性質である細胞の移動能が大幅に低下しました。

この結果から、PIP2は「上皮細胞らしさ」の維持だけでなく、「上皮細胞らしさ」の獲得にも重要な役割を果たすことが示唆されました。

今回の結果は、PIP2が「上皮細胞らしさ」の維持や決定に関わるリン脂質であることを示唆するものであり、将来的にはPIP2やその代謝酵素が、がんや線維症の治療標的となる可能性が考えられます。

研究支援

本研究は、AMED革新的先端研究開発支援事業(PRIME)、科研費基礎研究(B)、武田科学振興財団、住友財団、テルモ生命科学技術振興財団、持田記念医学薬学振興財団、金原一郎記念医学医療振興財団、濱口生化学振興財団、科研費若手研究の助成を受けて実施したものです。

用語

*1 ホスファチジルイノシトール(4,5)−二リン酸(Phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate: PIP2
細胞膜を構成成分の一つであり、さまざまなタンパク質と結合し、その働きを調節するリン脂質。細胞内情報伝達因子の原料ともなる。
*2間葉細胞
結合組織、骨、筋、脂肪などの非上皮性組織を構成する細胞集団の総称。
*3 上皮間葉転換
上皮細胞が細胞極性や周囲の細胞との結合などの上皮細胞特有の性質を失い、間葉細胞様に変化する現象。正常組織の発生過程において重要な現象であるが、がんの浸潤・転移を促進することが示唆されている。
*4 線維症
肺、心臓、肝臓、腎臓、皮膚など重要な臓器で起こりうる疾患。I型コラーゲンなどの膠原繊維の集積により、臓器が硬化し正常な働きが出来なくなる。現在、この病気に対する根本的な治療法は開発されていない。
*5 免疫蛍光染色法
蛍光標識した抗体を用いて、物質の細胞内局在などを調べる方法。

論文情報

雑誌名
Nature Communications
論文タイトル
Plasma membrane phosphatidylinositol (4,5)-bisphosphate is critical for determination of epithelial characteristics
著者
Kaori Kanemaru, Makoto Shimozawa, Manabu Kitamata, Rikuto Furuishi, Hinako Kayano, Yui Sukawa, Yuuki Chiba, Takatsugu Fukuyama, Junya Hasegawa, Hiroki Nakanishi, Takuma Kishimoto, Kazuya Tsujita, Kazuma Tanaka, Toshiki Itoh, Junko Sasaki, Takehiko Sasaki, Kiyoko Fukami, Yoshikazu Nakamura
DOI
10.1038/s41467-022-30061-9

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東京理科大学 理工学部 応用生物科学科 准教授
中村 由和(なかむら よしかず)
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E-mail:kenkyuk-ask”AT”amed.go.jp

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掲載日 令和4年5月10日

最終更新日 令和4年5月10日