2018年度 研究事業成果集 ARID1A 遺伝子変異がんを対象に代謝を標的とした新たながん治療法を発見

グルタチオン阻害がARID1A欠損がんに有効であることを解明

国立がん研究センターの荻原秀明分野長を中心とする共同研究グループは、卵巣明細胞がんなどで高頻度に見られるARID1A遺伝子に変異を生じた患者の代謝(メタボローム)を標的とした新たな治療法を見いだしました。ARID1A遺伝子変異のあるがんは、抗酸化代謝物であるグルタチオンの量が少ないという弱点を発見し、グルタチオンを阻害する化合物APR-246などがARID1A欠損がんに対する抗腫瘍効果を示すことが分かりました。これらの化合物は正常細胞への影響が少なく、がん細胞に特異的に作用する効果の高い治療薬として期待されています。

取り組み

がん患者の遺伝子異常を調べることで、最適な治療法を選択するがんゲノム医療が進められています。特定のタンパク質の活性化をもたらす「活性化変異」のあるがんに対しては、活性化タンパク質に対する阻害薬が開発され、臨床現場で用いられています。しかしながら、多くのがんで見つかるのは遺伝子の機能を失わせるような「機能喪失性変異」です。遺伝子が活性化する場合は、活性化タンパク質を抑える薬を用いた治療ができますが、機能喪失性変異の場合は、このような治療ができないため、別の考えに基づく治療法が必要です。

ある遺伝子やタンパク質が欠損した場合に、それが原因で細胞に新しく弱点となる遺伝子やタンパク質が生じることがあります。この弱点となる遺伝子やタンパク質を阻害すると細胞が死んでしまう現象を「合成致死性」といい、これを利用した治療法(合成致死治療法:図1)は新しいがん治療の概念として大きく期待されています。

ARID1A遺伝子は、さまざまな遺伝子の発現を促進するSWI/SNFクロマチンリモデリング複合体の一員として働くタンパク質を作ります。ARID1Aタンパク質は、卵巣明細胞がんなどの女性特有のがんや、胃がんなどのアジア人に多いがんで欠損していることが知られており、これらのがんは進行すると治療が難しいことから、有効な治療薬が求められています。そこで、本研究ではARID1A欠損がんを対象とした合成致死治療法の開発を目指しました。

 

図1 合成致死治療法の仕組

成果

ARID1A遺伝子変異のあるがんは、抗酸化代謝物であるグルタチオンの量が少ないという弱点を発見し、グルタチオンやグルタチオン合成酵素を阻害する化合物が、ARID1A欠損がんに対する抗腫瘍効果を示すことを明らかにしました。

活性酸素種(ROS)は、呼吸などにより細胞に生じますが、過剰になるとDNAが傷つき、細胞は死んでしまいます。そのため、正常な細胞ではROSが増えすぎないように、グルタチオンがROSを除去しています。グルタチオンの原料となるシステインは、SLC7A11タンパク質によって細胞の中に運び込まれます。

今回の研究では、ARID1Aタンパク質がSLC7A11遺伝子の発現を促すことを発見しました。ARID1A欠損がんでは、SLC7A11タンパク質の量が少なくなるため、グルタチオンの原料であるシステインの量が減少し、グルタチオンの量も少なくなります。その結果、ARID1A欠損がんにおいてグルタチオンやグルタチオンを作り出す酵素を阻害すると、容易にグルタチオンの量が減少してROSが過剰となり、がん細胞は死に至ります(図2)。つまり、ARID1A欠損がんでは、グルタチオンやその合成に関わるタンパク質が弱点(合成致死標的)であり、その阻害薬の開発によって高い治療効果が期待できます。

本研究において、グルタチオンを阻害するAPR-246やグルタチオン合成酵素を阻害するbuthionine sulfoximine(BSO)が、ARID1A 欠損がんの治療に有望であることを初めて示しました。

図2 ARID1A欠損がんに対する合成致死治療法

展望

今回のがん治療法の提案は、ARID1A欠損細胞には正常細胞にはない「代謝(メタボローム)の弱点」があるという発見に基づいています。したがって、正常細胞への影響が少ないためがん細胞に特異的な効果の高い治療法となる可能性があります。

グルタチオンやグルタチオン合成酵素の阻害による治療法の確立や新しい薬剤の開発に取り組むことで、さまざまなARID1A欠損がんに対する有効な治療法の開発につながることが期待できます。

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最終更新日 令和2年6月23日