アーカイブ インタビューNo.4「生命科学研究の基盤をつくる」

榊佳之先生プロフィール写真
榊 佳之
静岡雙葉学園 理事長、東京大学 名誉教授

生命科学研究史における偉業であるヒトゲノム計画。日本のプロジェクト代表を務められた榊先生に、ゲノム計画が生命科学研究のあり方をどのように変えたのか、また、今後の医学研究発展に期待すことを伺いました。

"象"の全体像を明らかにする

写真1:バミューダ会議でのヒトゲノム解読国際チーム(写真提供:榊先生)

― ヒトゲノム計画の完了から十数年経った現在、当時この国際プロジェクトで日本の代表でいらした榊先生が一番強く感じる、生命科学研究における変化とはどのようなものでしょうか?

ヒトゲノム計画は、新しい生物学、医療の基盤を作ろうと世界中が協力して進められ、完了後の発展も期待されていました。計画終了後3・4年は、ほぼ予想通りに発展しましたが、次世代シークエンサーが革命的な変化をもたらしました。計画完了当時に比べて桁外れ、しかも、1桁ではなく、百倍、千倍、今では百万倍くらいの情報が容易に取れるようになり、医学・医療で、遺伝子やゲノムに強固なベースが置かれるになったと思います。かつてはGWAS Genome-Wide Association Study、ゲノムワイド関連解析)などで遺伝子の部分を追い詰めていましたが、今は、まずゲノム全部読むところから始めるでしょう。テクノロジーの驚異的進歩が、ゲノムを主体とする医療を進めるための新機軸を生み出したと言えるでしょう。

― ヒトゲノムのドラフト発表後、学校や科学館などで、子ども達が「生物学で勉強することはなくなってしまったのではないか」と、言っていた時期がありました。

それはまったくの誤解です。今までは、例えば胃がんの研究者は胃がんを、認知症の研究者は認知症を、免疫の研究者は免疫を、それぞれ研究していて、各分野の中ではしっかりした体系があり、先端的なことをしていました。ですが全体としてのつながりは、わかっていませんでした。ヒトゲノム計画以前の生命科学研究は、北斎の絵にあるインドの寓話のように「群盲象を撫でる」ものでした。ゲノムの解読は"象の全体像を明らかにする"もので、やっと相互のつながりを理解できるようになったのです。もうやることがないではなく、これからやることがたくさんあるのです。

情報が一体となっていること

写真1:榊先生

― ゲノムが研究の基盤となっている時代に、AMEDが整備支援しているバイオバンクが備えるべき特性とはどのようなものだとお考えになりますか?

さまざまな病気や変化を持った細胞や組織と、環境要因や組織・細胞がおかれた状況といった背景情報を貫くのがゲノム情報です。ゲノムに立ち返ることで、似た試料や現象同士の真の関連性を検証できます。ヒトの身体の複雑なメカニズムを理解するにも、ゲノムをベースにした上で多様な材料や情報が必要です。生活習慣病のように、生活習慣と環境要因とゲノム要因とが絡み合う病気では、ゲノムの情報と、ゲノムの持ち主の生活習慣などの情報が一体となっていることが大事です。試料の数や多様性に加え、採取の経緯や、病理の場合には治療履歴といった情報があることがバイオバンクの価値を高めるでしょう。

― 情報の部分については、提供者個人が特定されて不利益が振りかかるのではないかという懸念がありますが、どういった対策が有効になると思いますか?

匿名化や、試料やデータと提供者へのつながりを分断する仕組みが必要でしょう。そして、社会全体として医療や健康をどう支える・発展させるのかを考えること、国民の皆さまのご協力がなければ進歩がないということを理解していただくことが大切です。解析結果を個人に返すという形で成果を還元するのではないこともわかっていただきたいことです。

― ゲノム医療は将来、予知や予防、早期発見、早期治療に役立つことが期待されています。ですがそこに遺伝的な問題が含まれていた場合、日本では、ご本人あるいは血縁関係にある方々が、そのことを受け入れられる状況にあるだろうかという懸念を、以前中川英刀先生のインタビューで示されていました。

私は臨床現場にいないので具体的な様子はわかりませんが、検査前にリスクや問題がある可能性はお話しするでしょう。その上でどう告知するかを考えることになるのではないでしょうか。お医者さんは知っていてもいいけど自分では知りたくないという、"知りたくない権利"は尊重されるべきでしょう。それはアメリカでも同じだろうと思いますが、リスクや問題を受け入れる人がアメリカでは多く、日本ではまだ少ないのかもしれません。

意図した検査ではなく、例えば、東北大学 東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)が行うような長期健康調査のなかで、リスクに関する情報が見つかることもあるでしょう。偶発的所見のうち予防や早期治療ができるといった、本人にとってメリットがあると思われるケースについては、本人に結果を戻すべきではないかという方向で議論が進んでいると思います。ただし、あくまで本人の範囲であって、血縁者についてどうするかという話はわかりません。ご本人への告知とご家族への告知は、分けて考えるべきでしょう。

― 予知予防、早期発見による治療のほかに、新薬開発への期待もあると思いますが、ゲノム情報やバイオバンクの試料・解析結果の利活用において、官民はどのように連携・協力できるとよいでしょうか?

大学や病院だけではできないことがたくさんありますから、官と民が組むのは当然でしょう。民の方々には、新薬開発にかかった費用の回収だけでなく、国民の健康や医療に貢献するということを意識していただきたい。バイオバンクの試料が医薬品開発においてどのくらいの価値を持ったかを適切に評価して、薬価を通じて国民に還元するという形があってもいいと思います。バイオバンク側は、試料を盾に無謀な要求をしてはならないと思います。試料の果たす役割は、成果に直結するものから、エビデンスの補強までさまざまでしょう。研究における資料の価値に応じて成果分配できるような契約の準備と、利活用の内容を追跡できる実験ノートなどの証拠となる記録、その双方が残しておくことが必要でしょう。

あるものをフル活用する

写真2:水谷先生

― バイオバンクの試料の取り扱いについて、国際基準であるISOを獲得する、あるいはISOに沿った国内基準を定めていこうという議論についてはどのようにお考えでしょうか。

バイオバンクは、作られてきた歴史や組織、場所によって、それぞれの事情があります。時間を遡って、新たな国際基準に全て合わせることはできませんから、国際基準を意識しつつも、国内で合意できる範囲で日本のルールを作ればよいのではないでしょうか。ToMMoは後発ですからよく整備されています。先行のバイオバンク・ジャパン(BBJ)は、提供者や採取状況といった背景情報に不十分なところがありますが、非常に貴重な試料があります。バイオバンクの利用によって新薬や治療法の開発が進むことが大事なのであって、バイオバンク事業を国際基準に沿って完成させることが目標ではないのですから、基準にこだわりすぎず、あるものをフル活用する術を考えることが重要でしょう。

その点、AMEDが進めているゲノム情報のデータベース化に伴って、各バイオバンクの研究資源の状況がずいぶんわかってきているのではないでしょうか。これが横断的に調べられるようになれば、非常に貴重な研究基盤になると思います。

― バイオバンクは新規整備だけでなく、維持や運営にも人手がかかります。そのための人材育成には、どういった観点が必要だと思いますか?

その仕事の社会的意義が理解されるだけでなく身分が保証されなければ、率先して従事しようという人は少ないでしょう。例えば "ナショナルゲノム医療センター"のような仕組みを作って、バイオバンク事業におけるある程度の数の雇用を安定してまかなう方法もあるかもしれません。病院や企業職員が、キャリアの一部として従事できるようにするという方法もあるかもしれません。ゲノム医療は、これから長い期間、医療の非常に重要な位置を占めることになりますから、それを支える人の立場を、職業として、あるいは地位として整えていくことが必要です。

AMEDと研究を支えるみなさんへのメッセージ

― AMEDが医学研究にもたらした変化、あるいは期待されている変化について、お聞かせください。

文部科学省、厚生労働省、経済産業省、それぞれが医学・医療研究を応援しているものの、相互に連携しにくかったという問題を、AMEDが解消し始めていると思います。基礎から出口まで、あらゆる段階で横へのつながりができてきたことで、医学・医療研究の体制が非常に強化されたと思います。これからは、AMED設立によって初めて生まれ得る成果に期待します。

― まだ設立から満2年ではありますが、すでに課題ではないかとお感じになっていることがあれば、お聞かせください。

現れたばかりの基礎研究をAMEDにどうつなぐかが非常に大事だと思います。AMEDが全ての基礎研究を支援することは、資金的にも制度的にも難しいでしょうから、さまざまな人が入って目利きをして引き上げる仕組みが必要です。いまはAMED設立当初にある程度のレベルに達していた研究の"種"を発展させていますが、それだけでは枯渇してしまうでしょう。

それから、これは厚生労働省の役割かもしれませんが、最終的な成果である薬や治療法を、国民全体に、ある程度安価な使いやすい形で普及させるという観点が、AMEDにもあってよいのではないでしょうか。素晴らしい新薬や診断法が開発されるのはよいことですが、とてつもない費用がかかって、国民のほとんどだれも使えないのでは困るでしょう。国民全体の健康のために、だれもが使えて恩恵を被るような出口を考えることも大事ではないかと思います。

(取材日:2017年11月21日)

インタビュー映像

推薦論文

タイトル
Initial sequencing and analysis of the human genome
著者名
International Human Genome Sequencing Consortium
雑誌名
Nature
号、発行年
15 February 2001, Vol 409, p860–941
推薦趣旨
ヒトゲノムのドラフトが2000年6月26日、ビル・クリントン米国大統領とトニー・ブレア英国首相によって完成宣言されましたが、その詳細情報は2001年2月になってからで、ヒトゲノムプロジェクト計画がNature誌の特別号(本推薦論文)で、セレラ社がScience誌で、それぞれ発表しています。その後、さらに完全、かつ、高品質なゲノムの完成に向けて作業が続けられ、2003年4月14日に完成版が公開されています。

研究者経歴

愛知県生まれ。1966年に東京大学理学部生物化学科卒業。1971年に同大大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士)。カリフォルニア大学ウイルス研究所研究員、三菱化成生命科学研究所副主任研究員を経て、九州大学医学部で生化学教室講師から附属遺伝情報実験施設助教授、教授となる。1992年 に東京大学医科学研究所教授、ヒトゲノム解析センター長を兼任後、理化学研究所ゲノム科学総合研究センター プロジェクトリーダーも兼任し、国際ヒトゲノム計画の日本代表として21番染色体、11番染色体、18番染色体の解読を推し進めた。2004年東京大学退官後、理化学研究所ゲノム科学総合研究セ ンターセンター長、ヒトゲノム国際機構(HUGO)会長、豊橋技術科学大学 学長、理化学研究所特任顧問を務める。AMED「東北メディカル・メガバンク計画」のプログラムスーパーバイザー(PS)を務める。

掲載日 平成29年12月28日

最終更新日 令和2年3月30日