アーカイブ ゲノム・オミックス解析を通じて医療の環をー東北の健康を守りながら、知見を集め、還元する

櫻井氏プロフィール写真

櫻井 美佳
東北大学 東北メディカル・メガバンク機構 准教授

東北メディカル・メガバンク計画(TMM計画)の参加者数は、地域住民コホート調査 *1)で約8万人、三世代コホート調査では約7万人、合計15万以上に上る。AMED ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業の先端ゲノム研究開発(GRIFIN)の研究課題「多因子疾患の個別化予防・医療を実現するための公開統合ゲノム情報基盤の構築」(研究開発代表者:東北大学東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo) 山本雅之機構長)ではTMM計画参加者の生体試料や健康に関わる種々の情報から成るバイオバンクを利活用することにより、ゲノム・オミックス基盤の構築・公開と慢性閉塞性肺疾患(COPD)*2)を用いた検証を通じて個別化予防・ゲノム医療の実現を目指している。

東日本大震災の復興事業として開始されたTMM計画では、宮城県全域および岩手県の太平洋沿岸部自治体を中心とした地域住民および三世代家族を対象に第1段階(2016年度まで)に15万人規模のコホートを形成し、健康調査を実施した。国内では数少ない、大規模かつ遺伝子多型*3)を用いた疫学研究が可能な"前向きゲノムコホート調査"であり、この調査結果を個別化医療・疾患予防へとつなげるべく取り組み続けている。対象とする地域住民数千人の全ゲノム解析に基づくリファレンスパネルの構築、日本人に特化した一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism:SNPs)アレイの設計、同アレイを用いたゲノム解析、さらに三世代コホートを用いた家系解析を組み合わせて、遺伝子と環境の相互作用を解明する戦略を立てた(推薦論文参照)。そのために必要とされ、開発されたのが「ジャポニカアレイ®」だ。

ジャポニカアレイ®と全ゲノムインピュテーションで、安価かつ高精度に日本人のゲノムを解析する

図1:ジャポニカアレイ®による遺伝子型インピュテーション解析
※クリックで拡大
 

写真1:インタビューに答える櫻井先生

 

ジャポニカアレイ®は、先に述べたコホート調査参加者全員のゲノム解析を安価かつ高精度に行うためにToMMoと企業との共同研究によって2015年に設計された(参考資料1参照:2015年6月24日 プレスリリース)。この設計では、TMM計画のコホート調査に協力した数千人分の全ゲノムデータを活用しながら、日本人に特徴的な遺伝子多型情報の取得に最適化したマーカーを選定し搭載している。2015年に発表されたもの(v1)は1,070人の、2017年に発表されたv2は2,049人分の全ゲノムデータが活用されている。

ジャポニカアレイ®v2では、日本人に特徴的な約66万カ所のSNPが1枚のチップに搭載されている。このうち約63万カ所は「タグSNP」*4)と呼ばれるもので、現在では3,552人に拡充された全ゲノムリファレンスパネル(3.5KJPNv2、参考資料2参照)を参照して、強い連鎖不平衡*5)にある別のSNPの情報も併せて復元できる。つまり、ジャポニカアレイ®v2に搭載されているSNPに加えて、3.5KJPNv2の参照により、推定できるSNPも合わせると、数千万規模のSNP情報の取得が見込めることになるのだ。
このように、SNPアレイの結果とリファレンスパネルを組み合わせて、SNPアレイで計測しない箇所のSNPを疑似的に再構成する手法(図1)を「全ゲノムインピュテーション」と呼んでいる。いわば"疑似的な全ゲノム解読"だ。GRIFIN課題で研究課題全体のマネジメントと、SNPアレイを用いたゲノムデータの取得を担当している櫻井美佳先生は、「ジャポニカアレイ®v2と全ゲノムインピュテーションを用いると、次世代シークエンサー(NGS)で解析した場合と比べて約10分の1の費用で疑似全ゲノム解析が可能です。大規模コホート調査やバイオバンクスケールのゲノム解読では、民族特異的なアレイと全ゲノムインピュテーションを組み合わせた手法が世界的にも主流となっており、得られたゲノム情報は種々のGWAS(Genome-Wide Association Study:全ゲノム関連解析)に活用されています」と話す。このジャポニカアレイ®v2と全ゲノムインピュテーションを活用して、2018年度は、GRIFIN課題と別事業とを合わせて毎月約6,000人、年間にして約6万8,000人以上のゲノム解析を行った。
なお、ジャポニカアレイ®v2に搭載されている約66万カ所のSNPのうち、タグSNPである約63万カ所以外のSNPには、過去にGWASで報告があった領域、薬剤応答関係や、免疫疾患に関連するHLA(ヒト白血球抗原)*6)とKIR(キラー免疫グロブリン様受容体)*7)などが含まれている。このような疾患に関連し、かつ日本民族特有の多型を示すSNPを搭載することで、日本人に適した疾患関連SNPの解析が可能となることから、現在、3.5KJPNv2に基づき選択されたタグSNPを搭載し、さらに日本人におけるアレル頻度*8)も考慮して疾患関連SNPをより充実させたv3を開発し、まもなく上市予定だという。

日本人向けに最適化したジャポニカアレイ®が持つ可能性

ジャポニカアレイ®について櫻井先生は繰り返し、「日本人のゲノム解析に適していることが大切」と強調する。例えば、アジア人向けのアレイはほかにも存在しており、搭載するSNPもほぼ同じ66万カ所だ。ところが別のアジア人向けアレイは、日本人だけでなく、韓国やモンゴルなど他のアジア各国のデータも含めて設計されているため、日本人では多型を示さないSNPが多く搭載されている。「すでに全ゲノムデータのある日本人192人で比較したところ、ジャポニカアレイ®v2では単型*3)となったマーカーが、搭載SNP全体の1%未満だったのに対して、別のアジア人向けのアレイでは約17%でした。この結果は、日本人をターゲットとした解析において、ジャポニカアレイ®の方が多くのSNP情報を得られるということを示しています。また、全ゲノムインピュテーションにおいても、前者と後者では復元できた座位に100万の差がありました。日本人向けに精度が高い点が、ジャポニカアレイ®の強みです」(櫻井先生)。

実は、TMM計画が始まって間もない頃、日本人向けというよりも東北地方という限られた地域向けのデータになるのではないかという意見もあったという。「全ゲノムリファレンスパネルを現在の3,000人規模に拡充する際に、長崎や長浜(滋賀県)におけるプロジェクトの協力により、東北在住者以外のゲノムデータを取り込んで、日本人としての網羅性を高めました。また、このリファレンスパネルでは、地域特有と言えるほど低いアレル頻度のSNPより、日本人という民族集団に特徴的なSNPを標的としています」(櫻井先生)。
ジャポニカアレイ®v1およびv2を販売している企業では、ジェノタイピングサービスとNGSを用いたゲノムシークエンシングサービスを提供している。ToMMoでは、研究者がジャポニカアレイ®を用いて取得したゲノムデータを全ゲノムインピュテーションするサービスも提供している(現在は学術研究機関に所属する研究者が対象、実費のみ研究者負担)。このサービスが利用される要因は、主に2つある。1つは、疾患データを持つ研究者が解析を依頼するパターン。もう1つは、日本人の全ゲノムリファレンスパネルを活用した高精度な全ゲノム復元を期待するパターンだ。また、櫻井先生は「疾患研究の分野では、疾患サンプルは多く持っていてもコントロールサンプルが少ないことがしばしばあります。私たちは、コントロールサンプルとなりうるゲノムデータを持っていますが、コホート調査という性質上、有病率の低い疾患を見つけにくい。お互いの長所を活かした連携によって、疾患の理解や成果の共有を図りたい」と考えている。

慢性閉塞性肺疾患(COPD)をモデルに自分たちのゲノム・オミックス基盤を検証する

櫻井先生がTMM計画と並行して実施しているGRIFIN課題では、多因子疾患の個別化医療の実現を目指している。ToMMoが取り組んでいるテーマはCOPDだ。COPDは、喫煙や大気汚染という環境因子の存在が明確だが、遺伝的因子も関与すると考えられている。WHOによると、2030年にはCOPDが世界の死因第3位になると推測されており、対策は喫緊の課題だ。櫻井先生は、「COPDをモデルにして、私たちが構築しているゲノム・オミックス基盤の検証、そしてCOPD発症リスク予測手法の開発を見据えています」と話す。

この課題では、ToMMoで行っている詳細二次調査のアドオンコホートとして、2017年から呼気中の一酸化窒素(NO)濃度検査を実施している。呼気NO濃度は、気管支喘息や喘息合併COPD患者で増加することが知られている。すでにTMM計画で喫煙歴や呼吸機能(努力性肺活量*9)のうち最初の1秒間に吐き出された量である「1秒量」など)は調査されており、これらのデータと組み合わせると、大きくCOPD群、喘息とCOPDを合併している群、対照群の3群に層別化できる(図2)。「近年、COPDと喘息というフェノタイプ*10)だけでなく、分子病態に注目した『エンドタイプ』で層別化する方法が注目されています。ゲノム解析(図3)とオミックス(メタボローム)解析を通じた層別化により、単純なGWASでは見つからない遺伝・環境要因を明らかにし、将来的には、発症リスク予測による予防や層別化に基づく創薬等の治療につなげることを目指しています」(櫻井先生)。当然、サンプルサイズが大きいほど精度は高くなる。15万人のコホート調査を実施しているTMM計画と連携するメリットは大きいだろう。

また、GRIFIN課題ではオミックス(メタボローム)解析を組み合わせ、COPDにおける遺伝・環境要因の相互作用を明らかにする計画も注目される。オミックスとは、遺伝子を扱うゲノミクス、メッセンジャーRNAを扱うトランスクリプトミクス、たんぱく質を扱うプロテオミクス、代謝物を扱うメタボロミクス等の研究分野の総称である。このうち、代謝物を扱うメタボロミクスに関わる解析を行うメタボローム解析は、ゲノム情報だけでは完全にはわからない疾病発症までの生体の組織や細胞で起こる変化を捉える手法の一つであり、GRIFIN課題では血漿中の代謝物を標的とするメタボローム解析により、環境因子が人に与える影響の解明、また疾病発症マーカーの同定が期待されている。なおGRIFIN課題で行われたメタボローム解析の結果は日本人多層オミックス参照パネル(jMorp)というデータベースとして公開されている。TMM計画の詳細二次調査(2017~2020年度)では2回目の採血を行っており、経時変化を追うことも目的の1つだ。櫻井先生は、「前向きに追跡していく中で、発症前のオミックスデータが得られます。中間形質の変化やゲノムを統合的に解析することで、発症予防に関わる遺伝・環境要因が見つかるでしょう」と期待を寄せている。


図2:COPDを対象とした解析の方針案

図3:GRIFINの研究課題「多因子疾患の個別化予防・医療を実現するための公開統合ゲノム情報基盤の構築」におけるエクソーム解析とSNPアレイ解析

地域住民の貴重な試料や情報を無駄にしないために

「15万人もの参加者からいただいた貴重な試料や情報を、無駄にしたくない」。これは櫻井先生だけでなく、TMM計画メンバーの総意だ。「無駄にしたくない」には2つの思いが込められている。1つは、参加者に健康調査の結果などの情報をお返しして自身の健康に役立ててほしいという意味だ。「健康調査結果は、できるだけ速やかにお戻しするように意識しています。また、地域による結果の違いなどを示しながら改善策に活かしていただこうと、各地で説明会を開いています」(櫻井先生)。

もう1つの意味は、得られたデータを多くの研究に活用することだ。全ゲノムインピュテーションサービスはその一環だが、データの分譲や共同研究を通じて知見を積み重ねたいとしている。櫻井先生は、「(研究の中で)得られた知見を、さらに地域に返す循環を続けることが大事です。地域の健康支援、国のゲノム研究基盤の構築、個別化医療に向けた取り組みと、1つの研究室レベルでは到底経験できない大事業だからこそ、多くの研究者や職員と協力して推進していきたいと思っています」と取り組みへの意気込みを見せた。
研究プロジェクトのマネジメントには、日本医療研究開発機構(AMED)への出向経験が生かされているという。出向時の業務は、研究の計画立案・実施等の進捗管理、連携プロジェクトの調整やデータシェアリングの推進など、多岐に渡った。櫻井先生は「その経験があったからこそ、今の業務にやりがいを感じられている」と笑顔を見せた。

写真2:ジャポニカアレイRでデータ取得すると実費のみでToMMoの遺伝子多型インピュテーションサービスが受けられる。「ぜひ、ご活用ください」と話す櫻井先生

用語解説

*1)コホート調査
ある特定の人々の集団を一定期間にわたって前向きに追跡し、生活習慣などの環境要因・遺伝的要因などと疾病発症の関係を解明するための調査。
*2)慢性閉塞性肺疾患(COPD)
たばこの煙などに含まれる有害物質が原因で肺が炎症を起こし、酸素の取り込みや二酸化炭素の排出の機能が低下する疾患。気管支が狭くなったり、息切れを感じやすくなったりする。呼吸不全や心不全を合併することがある。
参考「日本呼吸器学会」Webサイト
*3)多型。単型
多型(遺伝的多型)とは、ある遺伝子の存在する場所(遺伝子座)を占めるDNA配列に差異が見られ、その違いが、一般的には集団全体の中で1%以上の頻度で複数共存すること、または差異がみられる配列のこと。
単型とは、違う配列が存在しないこと。
*4)タグSNP
日本人集団がもつ2,000万以上のSNPのうち、全ゲノムインピュテーションのために選抜されSNPアレイ上に搭載された一群のSNP。
*5)連鎖不平衡
同一染色体上にある2つの遺伝子座やSNPが独立しておらず、強い相関がある状態。
参考「日本薬学会」Webサイト薬学用語解説
*6)HLA(ヒト白血球抗原)
赤血球を除くほぼ全ての細胞表面に存在するたんぱく質。免疫システムが「自己」か「非自己」かの識別のために使われている。臓器移植や造血幹細胞移植における拒絶反応の原因であり、一部の自己免疫疾患にも関与する。
参考「日本造血細胞移植学会」Webサイト
*7)KIR(キラー免疫グロブリン様受容体)
免疫細胞の1つであるNK細胞の表面に存在する受容体で、HLAクラスIを認識する。自己免疫疾患やウイルス感染との関連があると考えられている。
参考資料「腫瘍の免疫療法の基礎」渡邉 映理、岸田 綱郎、松田 修、京府医大誌 126(6)、377~389、2017年
*8)アレル頻度
ある集団における各々のアレル(対立遺伝子)の割合のこと。
*9)努力性肺活量
胸いっぱい息を吸い込み、一気に吐き出した空気の量。
*10)フェノタイプ(表現型)
一般に、ある生物のもつ遺伝型が形質として表現されたもの。

インタビュー動画

推薦論文

Genome analyses for the Tohoku Medical Megabank Project towards establishment of personalized healthcare.

著者名
Jun Yasuda, Kengo Kinoshita ,Fumiki Katsuoka, Inaho Danjoh, Mika Sakurai-Yageta, Ikuko N. Motoike, Yoko Kuroki, Sakae Saito, Kaname Kojima, Matsuyuki Shirota, Daisuke Saigusa, Akihito Otsuki, Junko Kawashima, Yumi Yamaguchi-Kabata, Shu Tadaka, Yuichi Aoki, Takahiro Mimori, Kazuki Kumada, Jin Inoue, Satoshi Makino, Miho Kuriki, Nobuo Fuse, Seizo Koshiba, Osamu Tanabe, Masao Nagasaki, Gen Tamiya, Ritsuko Shimizu, Takako Takai-Igarashi, Soichi Ogishima, Atsushi Hozawa1, Shinichi Kuriyama, Junichi Sugawara, Akito Tsuboi, Hideyasu Kiyomoto, Tadashi Ishii, Hiroaki Tomita, Naoko Minegishi, Yoichi Suzuki, Kichiya Suzuki, Hiroshi Kawame, Hiroshi Tanaka, Yasuyuki Taki, Nobuo Yaegashi, Shigeo Kure, Fuji Nagami, The Tohoku Medical Megabank Project Study Group, Kenjiro Kosaki, Yoichi Sutoh, Tsuyoshi Hachiya, Atsushi Shimizu, Makoto Sasaki and Masayuki Yamamoto,
雑誌名 The Journal of Biochemistry
号、発行年 19 November 2018

研究者経歴

1974年、東京都生まれ。1997年に東京理科大学基礎工学部 卒業、1999年に同大学大学院基礎工学研究科 修士課程 修了、2003年に東京大学大学院医学系研究科 博士課程修了。2007年に東京大学医科学研究所 助教、2013年に東北大学東北メディカル・メガバンク機構 助教を務める。2015年から2年間 主幹としてAMEDへ出向、2017年に東北大学東北メディカル・メガバンク機構 講師として着任し、2018年より現職。

掲載日 令和元年6月11日

最終更新日 令和2年3月30日