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[取材協力]岡山大学大学院医歯薬学総合研究科呼吸器・乳腺内分泌外科学 豊岡 伸一教授/同研究科病態制御科学専攻腫瘍制御学講座 平沢 晃教授/大学院ヘルスシステム統合科学研究科ヘルスシステム統合科学専攻ヘルスシステム統合科学講座 森田 瑞樹教授/岡山大学病院新医療研究開発センター 神川 邦久教授・ 櫻井 淳准教授/大学院医歯薬学総合研究科革新的医療技術創出拠点プロジェクト 冨田 秀太准教授/岡山大学病院呼吸器外科 宗 淳一講師/同病院新医療研究開発センター 山下 範之技術職員

外来患者が帰り終え、静かになり始めた19時前。岡山大学病院の会議室に、三々五々、人が集まってきた。総勢25人ほど。これから、月1回の岡山大学病院バイオバンク(以下、岡大バイオバンク)のコアミーティングが始まるのだ。白衣のデザインがそれぞれ違うことから、職種はさまざまであることがわかる。聞けば、各診療科から最低1人は出席してもらうようにしているという。

クリニカルバイオバンクの強みを活かした"ひとつ屋根の下"感で、課題を具体化・解決

コアミーティングでは、前回からの約1カ月間での新規登録者数、試料などの利用申込数、論文などの成果数、さらには保管庫の空きスペース、満杯になるまでの見込み期間、財政状況、インシデント事例などの情報が共有された。

写真1:コアミーティングに集まった岡山大学病院のメンバー

「前にも、同じような例がなかった?」インシデント事例とその対応策の報告があったときに、このような声があがった。インシデントの内容は7mlのチューブに入れるべき血液検体が2mlのチューブで届いたというもの。1カ月間に別々の診療科から4例起きていた。「それぞれの診療科に、バイオバンク用の検体は7mlのチューブに入れるよう改めてお願いした」と対応策が報告された後に、先の声があがったのだ。
「なぜ、同じことが続くのだろう?」「通常の検査用採血チューブは2ml。習慣的に2mlに入れてしまいやすい」という声が出た。別の診療科からは、チューブを入れる引き出しにバイオバンク用、検査用というラベルを貼っているが、それでも間違えることはあるという発言があった。「(引き出しの)ラベルでの注意喚起よりも、動作の習慣性の方が強いというわけですね。これは一度、採血の現場で実際の動きを見せてもらって、検討しましょう」。このテーマに関しては、これがこの日の結論となった。

このコアミーティングは、岡山大学バイオバンクの特徴をよく表している。大学病院全体が一丸となっていること、そして現場主義であることだ。補足すると、岡大バイオバンクの現場主義は、中心メンバーから見ると相手の側での現場主義だ。

現在、岡山大学病院の44診療科(医科系32、歯科系12)のうち、26診療科(医科系22、歯科系4)を通じて検体を提供していただいている。また、医歯薬学の基礎系講座を含め、46の部局がバイオバンク利用の申込をしているという。しかし、岡大バイオバンクのスタッフは、常勤換算にすると技術系・事務系ともたったの4人だ。しかも、実働チームには岡山大学の生え抜きばかりというわけではなく、バンク事業開始に前後して、それまでの拠点都市を離れて岡山大学に来たメンバーもいる。岡山大学病院からすると"新顔"のメンバーが、バンク事業という診療科や研究室を横に貫く事業に携わっているのだ。相手の側での現場主義は、文字通り、相手の現場に入っていくことになり、縦割りになりがちな組織の風通しをよくすることにつながっている。これが、周りを巻き込みながら限られたマンパワーでバンク事業を回すことに役立っているようだ。

「継続」と「役立つ」を実現するための現場主義

写真2:豊岡教授

岡大バイオバンクは2015年のスタートと比較的、新しい。代表責任者で呼吸器・乳腺内分泌外科学の豊岡伸一教授によれば、バイオバンクがスタートする前は、各診療科の院生が手術室で検体を受けとり、研究室に持って帰るようなことが実際に行われていた。「大学としてもっとシステマチックにできないか。専門のスタッフを置けば、医師の負担も減らせる」とバイオバンク事業に乗り出したときの経緯を語る。

豊岡教授がまず重視したのは「継続すること」だという。「予算がなくなったら終わり、といったことがあってはならないのです」。
もちろんもう1つの柱は「役に立つこと」だ。「バイオバンクの試料やデータを使って研究をして、論文をインパクトファクターの高い雑誌に発表する。それも"成果"ではあるのですが、私たちがゴールにしているのは、治療法やサービスなど実際に社会の役に立つことです」と豊岡教授は言う。

写真3:宗講師

岡大バイオバンクは、はじめから民間企業への試料・情報提供を前提にしており(提出症例数と収集内容は図1参照)、そのための同意書や知財の扱いなどを整備してきた。企業とは、製薬メーカーと行った医療関係だけでなく、洗剤やウェットティッシュといった一般家庭向けの衛生用品を扱うトイレタリー産業も含んでいる。
継続性や役立つことを意識していないバイオバンクはむしろ少ないだろう。ただ岡大バイオバンクの場合、これを実現させるために落とし込んだ取り組み方が現場主義や病院一丸で、それに基づいた行動を徹底している。
コアミーティングで出たインシデント報告に基づいて、バイオバンクのメンバーが採血の現場を見に行って、動きを確認するだけでなく、「手術室の中に入って確認したこともあります」とバイオバンクの実務責任者で呼吸器外科の宗淳一講師は言う。実際の動きを知らないと、どのくらいの時間がかかるか、どうすれば現場スタッフに無理なく検体の収集をしてもらえるのかが、わからない。「診療科の負担を減らす」というのは、継続性のために岡大バイオバンクが意識していることの1つだ。

岡大バイオバンクの現場主義は、検体を集める場だけではなく、検体を利用する側にももちろん向いている。利用者の現場がわかれば「試料の使いやすさ」が具体的にはどういうことなのかがわかり、それは「役に立つ」バイオバンクへと結びついていく。
岡大バイオバンクのチームは事業を始めるにあたり、数社の製薬会社を訪問し、ヒアリングを行っている。「日本の製薬メーカーが、わざわざ外国のバンクから試料を取り寄せていたりするのです。それはなぜか。なぜ日本のバンクを使わないのか」、それを突き止めるために自ら出向いたと豊岡教授は語る。
メーカーに話を聞いてみると、検体提供者の同意書が不十分な場合があるからだという。同意書の文言にあいまいさや不十分さがあって、この研究への使用に関して、提供者は同意していると見なしていいのか、「日本では通用しても、他国では通用しないかもしれない同意書になっていたりするケースがあるのです」(豊岡教授)。そこで、岡大バイオバンクチームは複数の製薬メーカーからのアドバイスを得ながら、同意書の文言を作り上げた。知財の権利関係についても、共同研究から、分譲による一切の権利放棄までが可能になるように整えてある。岡大バイオバンクの(利用者側への)現場主義は、バンク事業の前から始まっていたと言える。


図1:提出症例数の推移(上)と、収集内容の分類・保有数(下 画像をクリックするとPDFが開きます。)
   

保存と保管の品質管理を最重要視

写真4:試料保管室の様子

バンクの生体試料を使う側にとって決定的に重要となるのは、試料の品質だ。岡大バイオバンクでは、提供同意者から採取した検体が保管試料となるまでを、何月何日の何時に採取され、何℃でどのように一時保管され、何時に保存の前処理が施され、何時に保管タンクに入れられたのかが、追跡できるようになっている。

血液検体は、医療行為の一環としての血液検査時に、バイオバンク用として少し多めに採血することで提供を受けている。専門業者が各診療科を定期的に巡回して検体を回収し、バイオバンク室に持ち込まれる。「外科手術で検体が出るときには、その都度、業者に連絡をして回収を頼んでいます」とヘルスシステム統合科学講座の森田瑞樹教授は説明する。森田教授はバイオバンク事業スタートの直前に赴任したメンバーで、品質管理、倫理対応、バイオバンクの事業継続に向けた体制整備を担っている。「はじめから利用目的が定まっている研究者の依頼による検体を別とすれば、(バイオバンク登録者からの検体は)どれも日付をまたぐことなく、提供を受けたその日のうちに(保存のために必要な)処置が行われます」と森田教授。さらには、品質を高く均一に保つために、検体の保管を最適にするための研究も行っているという。
保管準備室で検体の到着の確認をしたら、ラベルを付け替え、患者の名前のついたラベルはここで外される。次に保存のための処理をし、保管にという流れになる。血液検体は上清を500μlに分注し、血清、血漿は-150℃で、バフィーコートは-80℃で保存する。細胞(PBMC)も-150℃保存だ。

図1:同意および収集実績

組織検体は最大5mm角のブロックにしたもの(-150℃保存)、RNA保存液(RNAlater)で処理してから-80℃で保存したもの、固定液(PAXgene)処理後にパラフィン包埋したものの3つに分けて保存している。(「保管試料情報」検体保存方法を参照)このほか、腹水、胸水、気管支肺胞洗浄液(BALF)などが保存されている。
天井の高い位置にある窓から自然光が入る約35㎡ほどの保管室には、-80℃と-150℃のタンク、計9台がコンパクトに設置されている。大型タンクは使用していない。「タンクは小さめにして、数を増やしていこうと考えています。まだ数本タンクが置けますね」と森田准教授は手振りを加えながら話す。

「保管用試料は500μlに分注していますが、検体は1度解凍すれば質が劣化してしまいます。数μlの試料があれば十分な研究もあり、研究の目的は多様化していますので、見合った保管方法を考えたいと思っています」と森田准教授。

検体の品質管理のために、生物環境レポジトリのための国際団体「ISBER(International Society for Biological and Environmental Repositories)」による検体処理・保管に関する標準化指標「SPREC」に準拠した情報を取得している。提供をした検体の解析結果に何か疑義があれば、こうした記録を確認することができる。また、検体を取り扱う手技について海外機関の外部監査を受けたこともある。

このように丁寧に保管・管理された試料に付随する臨床情報も豊富だ。岡大バイオバンクの情報システムは岡山大学病院の情報システム(電子カルテ・検査システムなど)と連携していることから、臨床検査結果や投薬記録などの診療情報を保管検体の検索に利用したり、検体提供の際に付随情報として提供したりすることもできるという。たとえば、ある特定の抗がん剤が投与された症例の血漿検体を探す、といったことが簡単にできる。

もちろん個人情報の取り扱いにも配慮している。セキュリティカードでの入室制限管理によって、患者情報室に出入りできるスタッフは検体保管室には入れず、逆に検体保管室に入れるスタッフは患者情報室には出入りできない。スタッフ数が必要となる体制だが、両方の部屋に入れるスタッフを皆無にすることで、検体の匿名化を確かなものにしている。

研究のタネ段階から、バンク利用者予備軍にアプローチ

写真6:冨田准教授

バイオバンクの解析室では、NGS(Next Generation Sequencer:次世代シークエンサー)を使ったDNA塩基配列の解析やたんぱく質の解析などを行う。「機械を動かし続けることが大事」と考え、バイオバンクの試料だけでなく、学内外の研究者から依頼があれば、バイオバンク用試料でなくとも解析する。「ラットやマウスだけでなく、農学部からの依頼でイチゴのDNAを解析したこともあります」と森田准教授。こうした受託解析での収入は、"継続性"を支える財源にもなっている。

さらには、研究を始める前の相談も受け付けている。岡大バイオバンクの解析室には、パワフルな解析装置がいくつもあるが、そのことが学外だけでなく、学内の研究者にも、十分には知れ渡っていない。そこで、研究のアイデア段階から相談にのることを始めている。バイオバンクの試料を使うと決めていない段階から、研究のコンサルティングをしているのだ。担当しているのはバイオインフォマティクスの専門家である冨田 秀太准教授だ。冨田准教授も岡大バイオバンクの本格スタートと同時期に赴任したメンバーだ。

「臨床の先生方はとにかく忙しくて、バイオバンクから情報提供する広報メールはなかなか読んでもらえません。バンクの機能やバンクにある生体試料、臨床情報をどうすれば知ってもらえるか。バンクが本格稼働する前に挨拶回りにいったのです。そこで、NGSを使いたいという声を聞きました」と冨田准教授は話す。「新しい解析手法は意外に知られていないのです。学内のどこにどういう装置があって、何かでき、そのためには何が必要か。そういう知識や経験が共有されていません」(冨田准教授)。そこで、月に1回、日を決めて研究の相談を受けることにした。解析室の装置を使えば、どういう解析がどこまでできるか、それにはどういう試料がどのくらいの量で必要なのかといった相談にのっているという(岡山大学「研究者の皆様へ 受託解析・機器利用」参照)。こうした活動を通して、臨床やアカデミアのアンテナに届くようにしたのだ。「バイオバンクの設立メンバーには若い者が多く、『やれることはなんでもやろう』という熱意があった」と冨田准教授はいう。それに加えて、宗講師は、「上層部にも『やらせてみよう』とする雰囲気があった」と振り返る。

三大バンク(東北メディカル・メガバンク、バイオバンク・ジャパン、ナショナルセンター・バイオバンクネットワーク)がすでにあるなかで、病院併設型である岡大バイオバンクはコンパクトさを強みにしようとしたと冨田准教授は話す。「コンパクトで人数が少ないからこそ、風通しをよくすることができます。バンクに検体を入れてくれる診療科やバンクの利用者と向き合うことで、"ひとつ屋根の下"感を出すことができるのです」(冨田准教授)。

治験サポートチームとも一体化

写真7:神川教授と櫻井准教授

"ひとつ屋根の下"といえば、岡大バイオバンクは新医療研究開発センターと同じ建物の同じフロアにある。このセンターでは、学内外の研究者に対するサービスの一環として臨床研究や治験の支援を行い、プロトコルの作成や品質管理のサポートなどもしている(岡山大学病院「臨床試験・治験関連有償サービス」参照 )。いわゆるARO(Academic Research Organization)に取り組んでいるところだ。臨床研究に参加している患者専用の治験病床(Clinical Research Room : CLR)6床も同じフロアにある。
「同じフロアにあることで、AROとバイオバンクのスタッフ同士のコミュニケーションがとても良くとれている」と同センターの神川 邦久教授は言う。今のように同じフロアになる前から、実務者同士では研究の相談や双方のミーティングに参加することがあったが、同センターの櫻井 淳准教授は「組織的に(連携を)行おうと、病院長の金澤右先生の構想とリーダーシップのもと進められ、実現しました。企業治験だけでなく、医師主導治験を実質的に運営できることは岡山大学の特徴。バイオバンクからARO、いわゆる研究のシーズから臨床研究まで、特にがんのフェーズⅠ試験、再生医療、遺伝子治療など難易度の高い治験を重点的に行えるのは、一気通貫、ワンフロアでできるからです」と語る(図2)。岡山大学の連携病院は中国四国地方を中心に広がっており、岡山大学はそれらのハブとなっている。このハブとしての機能をさらにスムーズに進める工夫、そして、"臨床研究や治験に強い岡山大学"を支えているのが岡大バイオバンクとAROとの連携なのだ。

図2:岡山大学病院バイオバンクとARO組織体制との関連
※クリックすると高解像度の画像が表示されます。

中国四国医療圏から研究・開発の基盤に貢献することを目指して

写真8:平沢教授

2018年6月、岡山大学は外部から腫瘍制御学講座臨床遺伝子遺伝学分野に新しい教員を迎えた。平沢晃教授だ。それまでは慶應義塾大学で遺伝性腫瘍や婦人科腫瘍の診療・研究に携わり、婦人科腫瘍や遺伝性腫瘍のバイオバンクの構築もしてきた。岡大バイオバンクの代表責任者でもある豊岡教授や金澤病院長が岡山大学でキャリアを積み重ねてきたのに対し、平沢教授は「これまで岡山も岡山大学とも縁やゆかりがなかった」という。しかし、岡山大学に対して「一方的な片思い」をしていたと、ほほ笑んだ。

平沢教授は2011~2015年まで、研究者としてフィンランドに留学していた。滞在中の2012年に同国でバイオバンク法が成立し、翌2013年に施行された。その変化を平沢教授は関心をもってみていたという。「複数の日本の製薬会社がフィンランドのバイオバンクにアクセスしていました。その時から『日本の製薬会社が日本人由来の試料を使用せずに、海外で試料を調達するということは日本の国益にならないのではないか?帰国したら日本の国民と産業のために役立つ事を生涯の仕事にしたい』と感じるようになったのです」と当時を語った。2015年に「バイオバンクから国益」の思いを抱いて帰国してすぐ、豊岡教授を会長として岡山大学で開催された第1回のクリニカルバイオバンク研究会シンポジウムに参加した。岡大バイオバンクが本格的に稼働を始めた直後のことだ。これがが"片思い"のきっかけだ。
「岡山大学とその関連病院がカバーする医療圏は中国四国地方のすべてに及び、人口にすると1,100万人を超えます」(平沢教授)。この数字はフィンランドの総人口のほぼ倍で、欧州の中規模国であるスウェーデンやベルギーを越える。「日本海、瀬戸内海、太平洋と3つの海に囲まれて気候条件がさまざま、また、都市、山村、沿岸部など環境にも多様性があり、かつ、都道府県で比較した際の、特に女性の平均寿命が高い(厚生労働省 平成27年都道府県別生命表の概況 参照)。コホートとして考えると日本で最適な医療圏」と考えるようになったという。ずっとその土地に住む人が比較的多いことも、良質のデータが得られる条件として期待できる。たとえば、遺伝性腫瘍など、長期間が必要なコホート研究にも最適であろう。

こうした医療圏としての魅力だけでなく、日本の医学発祥の地である岡山の歴史と精神、また、互いの顔が見える関係と機動性の高さが平沢先生の心を捉えたという。「赴任すると決まったときから多くの人に『岡大は体育会系だ』と言われてきたが、想像以上だった(笑)。これは現場の一体感につながっている。医療安全上も風通しが良い環境」と評する。バイオバンク長が病院長であることが、病院メンバーの一体感を下支えしているとも語った。

臨床の現場に負担をかけず、それでいて最良の保存法と継続性を目指せるのは、こうした岡山大学病院の雰囲気そのものにあるのかもしれない。

(取材日:2018年7月30日)

インタビュー映像

研究者経歴

豊岡 伸一(とよおか しんいち)
1968年、岡山県生まれ。1994年に岡山大学医学部 卒業。1994年に岡山大学医学部第二外科、三豊総合病院外科入局。1999年に米国・テキサス大学サウスウエスタンメディカルセンター留学。2002年に帰国後、香川県立中央病院外科、2003年に国立がんセンター東病院胸部外科、2004年に岡山大学病院呼吸器外科入局。2013年に同大学大学院医歯薬学総合研究科臨床遺伝子医療学 教授を経て、2017年より現職。専門分野は、胸部外科学。

平沢 晃(ひらさわ あきら)
1970年、東京都生まれ。1995年に慶應義塾大学医学部 卒業。慶應義塾大学医学部産婦人科学教室 研修医を経て、2000年より東京医科歯科大学難治疾患研究所遺伝疾患研究部門(分子細胞遺伝)で婦人科がんゲノム異常の研究に従事。2004年に博士(医学)。2005年に慶應義塾大学医学部産婦人科 助教(助手)、2011年からフィンランド共和国Institute for Molecular Medicine Finland(FIMM)、フィンランドアカデミー 上級研究員。2015年より慶應義塾大学医学部産婦人科 専任講師。2018年6月より現職。また、同年9月より岡山大学病院臨床遺伝子診療科 診療科長を務める。専門は、臨床遺伝学、遺伝性腫瘍、がんゲノム医学。

森田 瑞樹(もりた みずき)
1979年、東京都生まれ。2003年に東京工業大学生命理工学部 卒業。2005年に同大学大学院生命理工学研究科修士課程 修了。2008年に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程 修了。同年に東京大学大学院農学生命科学研究科アグリバイオインフォマティクス人材養成ユニット 特任助教、2009年に医薬基盤研究所バイオインフォマティクスプロジェクト 特任研究員、2012年に東京大学知の構造化センター 特任研究員、2013年に産業技術総合研究所ヒューマンライフテクノロジー研究部門 産総研特別研究員、2014年に東京大学大学院情報理工学系研究科ソーシャルICT研究センター 特任研究員を経て、2015年より岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 講師。2015年4月より岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 講師、2015年7月より同研究科 准教授を務めた後、2019年4月より現職。専門分野は、医療生命情報学。

神川 邦久(かみかわ くにひさ)
1955年、鹿児島県生まれ。1981年に京都薬科大学 卒業、1983年に大阪大学大学院薬学研究科修士課程 修了。同年、武田薬品工業株式会社に入社、2003年に日本開発センター領域Ⅳ シニアマネージャー(骨・関節、消化器用薬担当)、2006年に日本開発センター 臨床開発部長。2012年に株式会社武田分析研究所 社長。2014年に事業譲渡により株式会社住化分析センター 理事および医薬事業本部 ファーマ淀川事業所長就任。2015年より岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 教授を務めた後、現職。専門分野は、医薬品開発学。

冨田 秀太(とみだ しゅうた)
1974年、東京都生まれ。1998年に名古屋大学工学部 卒業。2002年に同大学大学院工学研究科 修了。博士(工学)。2002年に日本学術振興会 特別研究員を務め、以降、愛知県がんセンター研究所分子腫瘍学部 研究員、名古屋大学大学院医学系研究科 助手、米国・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)博士研究員、近畿大学医学部 講師を務め、2015年より現職。専門は、バイオインフォマティクス、バイオプロセスエンジニアリング。

櫻井 淳(さくらい じゅん)
1978年、岡山県生まれ。2002年に鳥取大学医学部 卒業。同年に岡山大学放射線科入局。2010年に同大学大学院医歯薬学総合研究科(病態制御科学専攻)修了。2015年PharmaTrain Federation, Centre of Excellence 修了。医師。医学博士。以降、呉医療センター・中国がんセンター、姫路聖マリア病院、香川県立中央病院を経て、2013年より医薬品医療機器総合機構(PMDA)医療機器審査第一部にて勤務。主に血管内治療デバイスの審査相談業務に臨床担当として携わる。2015年より岡山大学病院新医療研究開発センター企画運営部 部長/次世代医療機器開発部 部長(講師)を務め、2018年より現職。専門は、放射線医学(インターベンショナルラジオロジー、画像診断)、薬事。

宗 淳一(そう じゅんいち)
1971年、大分県生まれ。1998年に岡山大学医学部 卒業。同年に岡山大学医学部第二外科(現呼吸器・乳腺内分泌外科教室)入局。以降、三豊総合病院、国家公務員共済組合連合会・高松病院、公立雲南総合病院に勤務。2007年に米国テキサス大学サウスウエスタンメディカルセンター留学。2009年に帰国後、岡山大学病院呼吸器外科 助教を経て、2014年より現職。専門分野は、呼吸器外科、胸部悪性腫瘍手術(肺がん、縦郭腫瘍、悪性中皮腫など)、胸腔鏡手術。

山下 範之(やました のりゆき)
1977年、岡山県生まれ。2000年に岡山県立大学情報工学部 卒業。2002年に同大学大学院情報系工学研究科博士前期課程 修了。2002年より民間企業(数社)のシステムエンジニア・デザイナーを経て、2015年より岡山大学大学院医歯薬学総合研究科医療資源開発・学習支援環境デザイン学講座 技術職員を務めた後、現職。専門は、情報工学。

掲載日 平成31年4月12日

最終更新日 令和2年3月30日