アーカイブ インタビュー No.5「バイオバンクに必要な覚悟と柔軟性」

菅野純夫先生プロフィール写真
菅野 純夫
東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授

オリゴキャップ法を開発し、完全長cDNAを利用してヒトのトランスクリプトーム解析の先陣を切ってこられた菅野先生に、ゲノム解析が前提となった現代の医療とバイオバンク利活用の課題について、お話を伺いました。

熾烈な世界的ヒトゲノム解読競争とその意義

― ヒトゲノム計画から現在までの、ゲノム研究に関する印象をお聞かせください。

1993~94年当時の自動シークエンサーは、技術開発フェーズで人の作業を手助けするようなレベルでした。1995~96年にはヒトのフィジカルマップ※1)がほぼ完成して、整列クローン※2)が用意されましたが、当時の解析速度でヒトゲノムをすべて読むには100年ぐらいかかる計算でしたので、当時40歳に差しかかっていた私は「一生のうちには終わりそうにない」と感じていました。それが1997年ごろ劇的に改良され、当時約1億円のシークエンサーを20・30台備えたセンターが世界のあちこちにでき、中でもクレイグ・ヴェンターが初代会長となったセレラ・ジェノミクス社は、最新装置を200台揃えていました。 ヴェンターは配列の特許化を否定していましたが、万が一にも申請されてしまわないように、先に解析を完了させるべく国際コンソーシアム※3)が研究費を増額して解析を加速したと言います。セレラ社と国際コンソーシアム、それぞれが約300億円をかけた物量作戦を展開、解析競争が一気に進んで、2001年にドラフト版ができ上がったのです。

その時期のスピード感はもの凄いもので、あの解析競争がなければ、ヒトゲノム計画の終了は2010年頃になっていた、あるいは目覚ましい進展がないことで世間の注目が薄れ、予算が尽きて計画は頓挫していたかもしれません。それほどヴェンターのインパクトは大きかったと思います。しかも、競争開始頃に登場した新しいシークエンサーのおかげで、解析作業に投入した資金のほとんどで、きちんとしたデータが取れていました。技術開発のフェーズと大量データ取得のフェーズがヴェンター出現のタイミングと合致していたことが、ヒトゲノム計画成功の影の秘密だったと言えます。

写真1:菅野先生

― ヴェンターの参入あたりから、研究のスピード感が増し、今に至ってゲノム医療の現実化が見えてきたと。

そう感じます。その後、最初はSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)を使った病気の遺伝子探しが行われました。それはハップマッププロジェクト※4)から得た情報と、成熟してきていたマイクロアレイ技術を使って病気の遺伝子を見つけるというものでした。この研究で日本は世界のトップを走っていたと思います。ただ、その結果があまり医療応用につながらなかった。それが、その後の日本のゲノム医学研究予算の規模縮小に影響したと思っています。SNP研究が下火になってきた頃、NGS(Next Generation Sequencer、次世代シークエンサー)が登場しました。NGSは、その後、激烈な開発競争によってコストダウンが進むのですが、そのおかげでがんの大量シークエンスや遺伝病の原因遺伝子探しが大規模に行われました。NGSのほうがSNPよりも医療応用に近い成果が出たことは、日本のゲノム医学研究に残念なめぐり合わせだったと思います。

海外では、特にアメリカを中心にNGSでの解析が進んで、そこで得られた結果が今、医療応用に向けて実際に広がっています。オバマ大統領が「プレシジョン・メディシン」※5)と言い出したのは、NGSによる大量解析で得られた成果を実際に応用しようという話でもあります。

日本が遅れているということを、研究者たちが危機感をもって訴えてきたことによって、ようやく2年ぐらい前から、臨床ゲノム情報統合データベース整備事業ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業 先端ゲノム研究開発(GRIFIN)のような大型のプロジェクトができました。特に臨床ゲノム情報統合データベース整備事業は、臨床応用を真に目標としたフィジビリティスタディを含んだ研究費になっていて、それを今、AMEDが推進しているところですね。

アメリカにおけるゲノム医療推進の背景
~ポリティカル・アポインティの存在と医療保険

― アメリカでNGSをはじめとする最新機器や手法の導入が容易に行われたのはなぜでしょうか。

ゲノムプロジェクトの国際コンソーシアムの代表でもあったフランシス・コリンズのようなゲノム研究プロ中のプロが大統領のポリティカル・アポインティ※6)としてNIH所長となり、300億円ぐらいに膨らんだゲノム研究への投資をずっとロールオーバーし続けました。加えてアメリカは政府以外の資金が豊富です。カリフォルニア州のように、1,000億円のファンドを用意して再生医療研究に便宜を図るような自治体もあります。ニューヨーク州では州内の私立大学10校が10億円ずつ出資したところに、州も100億円出資するというマッチング・ファンドによって、ゲノム医療のアカデミックな研究センターができています。関連する民間企業がドネーションする仕組みの拠点もあります。

アメリカは実質的に国民皆保険ではないので、高額医療も許されますし、非常に実験的な先進医療の実施は病院のブランディング戦略にもなります。ですから最先端のゲノム医療を標榜する大病院がいくつもできるのです。対して日本は国民皆保険ですから、高額なものを保険収載すると制度が立ち行かなくなります。そこで海外の状況を見定めながら、一歩か二歩遅れて進めることになります。アメリカでは医療保険に未加入の約2,000万人は蚊帳の外ですが、富める人々からの資金や要望が、医療を進歩させていると言えます。

― 日本の中でゲノム医療研究を進める上で、気がかりなこと、懸念点を教えてください。

まずハードの側面。例えばシークエンス費用は、今や、シークエンスセンターを利用するよりもアウトソースしたほうが安上がりです。日本の研究予算では、解析装置の更新は5年を目安に考えられていますが、実際にはパソコン同様2年ほどで技術的には古くなりますし、整備や消耗品の費用も新型のほうが安価です。アウトソースが増えて利用者が減ることで、試薬のまとめ買いによる割引がなくなるなど、やらないほどにコストがかかる悪循環が顕著になってきています。ですが完全にアウトソースしてしまっては、機械の性能評価に必要な経験も積めなくなります。

先程NGSの導入に日本は遅れたと言いましたが、NGSの初期には、まだSNP関係の厚い予算の余波もあり、それなりの予算的支援がありましたが、各研究機関の意向でばらばらに購入したために集約した力になりませんでした。これからは、生物学の研究にも高価な解析装置が必要な時代です。解析装置をどのように購入・更新していくかは、悩ましい問題です。

― AMEDには、そうした現場や研究技術の先行きも見据えた予算配分を実現していくことが期待されているということでしょうか。

AMEDが設立されて凄く良かったところは、これまで文部科学省、経済産業省、厚生労働省が個別に似たようなプログラムを支援していたものを、整理しているところだと思います。文部科学省は大学にある革新的なシーズのPOC(Proof of Concept、概念実証)を取って育てるところを支援する、経済産業省は企業がPOCの取れたシーズから物、製品にまでするところを支援して、医療現場で実地検証するためには厚生労働省が力を貸す…そういうふうに、各省庁が得意な部分を受け持つことで、効率的に予算が使えるようになるのではないかと期待しています。

ゲノム医療の出口と、浮かび上がる「無効」な部分

― ゲノム医療では治療法の進歩が欠かせないというお考えについて、もう少し詳しくお聞かせください。

今は遺伝病やがんを中心にゲノム医療が進んでいますが、今後は対応できる疾患の種類は拡大していくでしょう。ただ、ゲノム解析は治療法を開発するための入り口に過ぎません。出口は2つあって、1つは診断や病態の評価です。もう1つは治療ですが、病気のメカニズムがわからないと治療にはなかなか結びつきません。メカニズムの理解がすぐ治療に結びつくとは言えませんが、画期的な治療法を期待するなら、新しい知識を得るためにゲノム解析が必要でしょう。ゲノムから病気のメカニズムを解き明かし、その結果から新しい治療法を開発することが診断利用の広がりにもつながるでしょう。

しかし、ゲノム医療が進めば、ゲノム医療が有効な部分と、そうでない部分がはっきりしてくると思います。治療の問題だけでなく、ゲノム医療が無効な疾患をどのように攻めるかも重要になってくると考えます。そこを、若手研究者・技術者の方々には考えて欲しいですね。

写真2:菅野先生

― ゲノム医療が無効な部分とはどういったことでしょうか?

現在のゲノム医療は、遺伝病の原因遺伝子や、がんでアクショナブルな変異※7)を見つけるというイメージでしょう。それでは片づかない病気が、「無効」という言葉で言いたかったことです。生活習慣病である高血圧では、発症に決定的な遺伝子は見つかっていませんが、間接的に関わるものがこれから見つかるかもしれません。糖尿病は運動することがまず大切だと思いますが、合併症が進む人と進まない人の違いの背景に、ゲノムの相違があるかもしれません。そうした"いるかもしれない"人たちの実態を、はっきりさせていくことが必要でしょう。海外では、この部分の解析がものすごい勢いで進められているので、これから10年ぐらいで大体分別されてくるのではないでしょうか。

― ゲノムから直接的には読み取れない現象について、付随する生活習慣や医療情報・記録があると道が見つけられるということがあるのでしょうか?

以前は、ゲノム研究はすごく特別で、これだけやれば全てがわかるという雰囲気があり、そういうふれ込みもありました。しかし、それだけでは済まない部分も出てきて、今は医学研究の1つのコンポーネントとしてのゲノム研究という印象、疾患研究でのゲノム解析は今やルーチンです。とはいえ、疾患研究をしていらっしゃる先生方が、ご自身で自在にゲノム解析をするのは難しいでしょう。ですから解析に関わる専門家集団がまだ必要だと思います。ここがゲノム医療研究におけるソフトの懸念点、人材の側面。臨床情報とうまくタグづけされたサンプルが、多くの研究者に利用可能な形でバイオバンクに集められて、そこでゲノム解析に関わる専門家集団と、臨床や大学で疾患の研究をしている人たちが、もっと自然な形で協力して多角的に物事を見られるようになればよいですね。

サスティナブルなバイオバンクに向けて
~「途中で止める」という選択肢はあるのか?

バイオバンク連絡会ではISOや利活用が議論されていますが、先生が今一番気がかりなことを教えてください。

コストの面に問題は集約されると思います。バンクは、できたからといってすぐには利用されないかもしれませんが、解析技術が進歩して、いいタイミングで利用されると成果が上がる。成果が出ていない時に、誰がどのようにコストを負担していくかという問題が非常に大きいのです。

そして研究したい人にとっては、どこにどんな試料やデータがあって、どれぐらい利用可能かという情報が検索できることが必須です。そういう情報を整備して、どのバイオバンクでも快適な条件で利用できるとよいと思います。民間企業が利用できるように整備しておくことも大切だと思います。利用の対価を取ることで、国のコスト負担を少しは軽減できるのではないでしょうか。きちんとした枠組みを決めることは必要です。ですが几帳面に過ぎて使いにくければ、使い勝手の良い海外のデータベースに利用者が流れかねません。製薬会社が有償でも使いたい品揃えか、知的財産や権利関係が整理されているかなど、利用者のニーズに合っているかどうかを意識することが必要でしょう。一生懸命整備したものの、海外のビッグファーマは希望通りに使えて、国内のスモールファーマは利用できないということになっていないか、使いたい・使える仕組みになっているかを考える必要があります。

バイオバンクなしでは、日本の医学研究が地盤低下してしまうのは間違いありません。必要であることを前提として、どのような形でやるかを考える。途中で止めるという選択肢、私は"ない"と考えています。財政・経済と、長い目で見た時の医学研究のあり方、どちらも踏まえて、研究者だけでなく、医療、企業、行政等幅広いステークホールダー方々が覚悟と柔軟性を持っていろいろ考えるべきかと思います。

(取材日:2018年1月23日)

用語解説

*1)フィジカルマップ
遺伝子間の距離や位置を、遺伝情報の物質的な実体であるDNA上での距離や位置として表現する地図(物理地図)。距離の単位は塩基配列であるため「塩基(base)」となる。
*2)整列クローン
ゲノム全体や特定の領域を、連続的にカバーするように選別されたクローンのこと。コンティグ内のクローンについて、重なり合う末端配列から隣り合うクローンを特定し、目的領域全体をカバーできるように「整列」させることで、効率的なシークエンシングが可能となる。
*3)国際コンソーシアム
国際ヒトゲノムシーケンス決定コンソーシアム。このコンソーシアムのもと、ヒトゲノムの解読プロジェクトが国際プロジェクトとして協力各国で進められた。
*4)ハップマッププロジェクト
国際HapMap計画 (International HapMap Project)のこと。ヒトにおける遺伝的多型パターンを明らかにし、病気や薬に対する反応性に関わる遺伝子を発見するための基盤整備プロジェクト。コモンSNP(Common Single Nucleotide Polymorphism)にフォーカスしており、多型とされる配列は、その出現頻度が1%以上であることを基準にしている。
International HapMap Project(国際HapMap計画)
*5)プレシジョン・メディシン
2015年1月20日のオバマアメリカ合衆国大統領の一般教書演説で言及された考え方。Precision Medicine(精密医療)。患者ごとに最適な治療方法を分析・選択し、それを施すこと。すでに知られているPersonalized Medicine(個別化医療)は、文字通り患者個別に治療法を検討・提供することだが、全国民にそれを適用することはコストの観点から実現には困難が伴う。対してプレシジョン・メディシンは、昨今のNGSなどによって疾病のメカニズムが詳細に理解されるようになったことをうけて、患者を「特定の疾患にかかりやすい集団(subpopulation)」に分類し、その集団ごとの治療法や疾病予防を確立し提供することによって個の多様性に対応するもの。コスト面での現実性をふまえながら、従来の「平均的な患者」を想定した医療からの脱却を目指す。
*6)ポリティカル・アポインティ
政治任用制(political appointee)とは、政治家である任命権者の裁量により、専門的な政策能力や政治的忠誠心などに基づき、要職に就く人材を任免すること。
*7)アクショナブルな変異
Actionable Mutation。分子標的治療薬が適していると考えられる(標的候補)遺伝子異常。

インタビュー映像

研究者経歴

東京都生まれ。 1978年に東京医科歯科大学医学部卒業。1982年3月に東京大学大学院医学系研究科修了(医学博士)。東京大学医科学研究所ウイルス研究部助手着任後、米国ロックフェラー大学ポストドク研究員となり、1992年8月に東京大学医科学研究所癌ウイルス研究部助教授。2000年6月同研究所ヒトゲノム解析センター助教授を経て、2004年4月より現職。専門領域は、ゲノム医科学。

掲載日 平成30年3月5日

最終更新日 令和2年3月30日